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前ページ次ページゼロみたいな虚無みたいな 窓を通して木漏れ日が差し込み、小鳥の囀りがかすかに聞こえてくるルイズの自室。 「朝ですよー」 「んー……」 朝を告げる声と頬を何かがつつく感触に、心地よく眠っていたルイズは目を覚ました。 「起きてっ♪」 ベッドに入ってきたあぽろがそう言いつつ後方から抱きついてきた事に気付いて、ルイズは目を見開く。 「なっ、何でベッドに入ってきて起こすのよっ」 「さあっ、今日は海に行くんだから準備準備♪」 赤面したルイズが飛び起きてそう尋ねると、あぽろはウインクしながら彼女を海へと誘った。 「海? いつよ……」 まだ完全に眠気が取れていない気だるげな表情で尋ねたルイズにあぽろは満面の笑みで、 「うん、今日です」 「なっ、何でこんな朝早くに……」 「いっそげ、急げー♪」 魔法学院から程近い森の中、小さな鞄片手に進むあぽろを大荷物を抱えたルイズが息を切らしつつ追っていた。 「そんなに荷物持ってくるからだよー」 「反対に海行くのにアポロの荷物の少なさは怖いわよ」 「あ!」 茂みをかき分けたあぽろの目の前には……、 「着いたあ!」 木々の間から見える限り青い空に青い海という、素晴らしい絶景が広がっていた。 「あら!」 「おはよう」 到着したあぽろ達をスイカを抱えたキュルケ・麦わら帽子姿のロングビルが出迎え、その向こうではタバサ・シルフィードが追いかけっこをしていた。 「えっ、みんなも来てたの? ミス・ロングビルまで……」 「今日は泳げないルイズちゃんをみんなで特訓なんですっ。ちゃんと単位貰えないと、夏休み補習になっちゃう! そしたら遊びに行けなくなっちゃうでしょーっ!」 そう力説するあぽろの脳裏には、ルイズと過ごす夏休みの楽しい日々が次々浮かんでいた。 「確かに泳げないとって思ったけど、何でプールじゃなくて海なのよ?」 「お昼はバーベキューだよ♪」 満面の笑みを浮かべつつ、口からこぼれた唾液を手で拭うあぽろ。 「それが目的ね……」 あぽろに呆れた視線を送りながらも、ルイズは着替えのために先程出てきた森の茂みに戻っていった。 「で、みんな泳げて私だけカナヅチなわけね」 「だよ♪ 今日はみんな先生なのですっ」 茂みから出てきたルイズの水着は、お世辞にもスタイルがいいとは言い難い彼女にしても少々小さめで、上下共に隠すべき部分を隠すので精一杯という印象を受ける物だった。 「ところでルイズちゃん、何かいろいろはみ出そうな水着……」 「ちい姉様が送ってくれたのっ! ほっといてっ!」 そんなルイズの水着の刺激に、あぽろは手で目を覆い隠し(指の間からしっかり見ていたが)シルフィードも赤面していた。 「まったく……(少し痩せよう……)」 腕で胸を隠し前屈みになり、そんな決心をしつつ波打ち際に歩いていくルイズ。 と、そんなルイズにあぽろが声をかける。 「あ、ルイズちゃん、そこじゃないの練習場所」 「え、そう?」 「ここ?」 「うんっ♪」 と言ってあぽろがルイズを案内したのは、高さが20メイルはありそうな断崖絶壁の上だった。 「ルイズちゃん1人だと怖いかなと思って、あぽろがついてきました♪」 「何でいきなりスパルタなのよっ!」 「えー、死ぬか生きるかの練習じゃないと、人間いきなり泳げるようにならないよ」 「あんた意外ときついのね」 そんなやり取りをしている間にも、あぽろはルイズの背中を軽く押した。 「きゃうっ!」 バランスを崩しながらもどうにかこうにか踏みとどまったルイズは、後方に振り返りあぽろの首を締め上げる。 「あっんたはーっ!」 「苦しーよお」 「あうー、酷いよー」 「まだ言うのっ、謝りなさいーっ!」 そんなやり取りをする2人の足元の岩に亀裂が入り……、 ──ガラ 上に乗っていた2人諸共海面に向けて落下した。 「嫌ーっ!」 ルイズは恐怖のあまり渾身の力であぽろの体にしがみつく。 「あうっ、ルイズちゃん、そんなにくっついたらっ」 時間は少々遡る。 ルイズ達が先程までいた砂浜ではシルフィードがマシュマロを刺した串片手に、 「お姉様、マシュマロ焼いてもいーい?」 「……いいけど……食べ過ぎたらごはん入らなくなる……」 「へーきなのね♪ んー、いい匂い♪」 タバサからの忠告にも耳を傾けず、シルフィードは串焼き肉を焼いている金網でマシュマロを焼き始める。 (……可愛いな……すぐお腹いっぱいになるくせに……) 「いただきまーす♪」 焼き色が付いて甘い匂いを漂わせるマシュマロを頬張り、シルフィードは満面の笑みを浮かべる。 「んーっ、幸せなのねー♪ 美味しいのねっ」 ――ドッボオオンッ! そのシルフィードから25メイルと離れていない場所で、転落したルイズ・あぽろによって激しい水柱が上がった。 「アっ、アポロ! アポロー、どこ!? 助けて……」 やっとの思いで海面から顔を上げ、あぽろの姿を探すルイズ。 そのあぽろは海面で腹部を打ったのか意識が無く、そのまま海中に沈んでいった。 「この役立たずーっ!」 そして程なくしてルイズも水面下へと沈む。 (どうしようっ、どうしよう……) あぽろを探す余裕も無く懸命に水面に浮上し、ルイズは海岸にいる一同に助けを求める。 「ぷはっ! みっ、みんなー!」 「およっ?」 砂で人形を作っていたシルフィードがそれに気付いたものの、 「ルイズ、手振ってるのね」 「……ほんとだ……」 楽しそうに手を振り返す一同に、涙を流しつつ怒鳴り返すルイズ。 「みんな肉にあたって苦しみなさいっ!」 ルイズの体は再度海中に沈んだ。 口元を手で抑えるという努力も虚しく、ルイズが吸い込んでいた空気は呼気として放出されていく。 (駄目……、苦しいっ。このまま死んだら、ちい姉様にサイズ嘘吐いたままになっちゃう) その時、ふとルイズの脳裏にあぽろの横顔が浮かんだ。 (アポロ……。読みかけの本も最後がわからないまま……、ここで死んじゃうの? って、あの馬鹿のせいで今こうなってるんじゃないっ! この馬鹿と一緒に死ぬのは嫌よ!) どうにかこうにか海底に沈んでいたあぽろを発見、意識の無い彼女を引っ張りながら海岸に到達したルイズ。 「はあっ、はあっ……、げほっ、げほっげほっ……(絶対生きて帰って1発殴ってやるんだからっ!)」 そんなルイズに海岸で待っていたキュルケ達が駆け寄り、言葉をかけてくる。 「おかえりー。お肉焼けてるわよー」 「要らない……」 「これで来週の体育で合格貰えるのねー」 「うん……」 ひと心地ついてから、ルイズは傍らに横たわっているあぽろに視線を向ける。 「(私がしがみついて海に落ちたから、アポロ溺れちゃったんだ……)あぽろ、もう大丈夫よ。起きて……ねえっ」 ルイズはあぽろの頬を数回はたいてみたが、あぽろが意識を取り戻す気配は無い。 「アポロ溺れたの? 起きるの?」 「……うん……大丈夫……でも人工呼吸が必要かも……」 そんなシルフィード・タバサのやり取りに、ルイズはぴくりと反応する。 (アポロ……、朝から私のためにいろいろしてくれたのに……) 『夏休み一緒に過ごそーねっ。ね♪』 満面の笑みで夏休みを楽しみにしていたあぽろの顔が、ルイズの脳裏に浮かんだ。 (馬鹿って思ってごめん……) 「う……」 いつしかルイズの瞳には涙が溜まり始めていた。 「シルフィがマッサージするのねー」 (……シルフィード……) ルイズの傍に座って手をわきわきさせているシルフィードに、 「待って。私がするわ」 シルフィードに代わってあぽろの両足の間に座り込んだルイズ。そんな彼女を、 「愛なのね。シルフィ感激なのね」 「……うん……」 「愛って凄いのね」 「……うん……」 (ギャラリーうるさいわね) 2人を見ながらそんな事を言う他の面子に少々うんざりしつつも、ルイズはあぽろに人工呼吸すべく顔を接近させる。 「アポロ……(やっ、やだ、何緊張してるのよっ。おっ、女同士なのに……)」 顔を赤らめ目を閉じてそっと顔を近付けていく。 あと少しで唇と唇が触れるという時、意識が無いはずのあぽろがにたりと笑みを浮かべた。 「ひゃー」 ――ポコッ 慌てと怒りの入り混じったルイズの一撃は、あぽろの頭部に見事なこぶを作った。 「おっ、起きてたならちゃんと言いなさいっ! みんな心配してたのにっ!」 「ちぇー、残念ー」 「何がよっ!」 「あーっ!」 夕刻、帰り支度を始めようとしたあぽろが大声を上げた。 「何よっ」 「パパパ、パンツ忘れてきちゃった……」 「ええっ!?」 驚愕の声を上げたルイズに、あぽろは涙を浮かべつつ見つめて懇願する。 「ルイズちゃんなら貸してくれるよね……? 貸してー、パンツー」 断りきれずに貸したルイズの下着を穿いて、あぽろは嬉しそうな笑みを浮かべる。 「わーい、ルイズちゃんのパンツ~♪ 見て見て、紐ー紐ー」 とその時、あぽろが穿いていたルイズの下着がするりと落下してしまった。 「ありゃっ」 「よーし、ルイズちゃんみたいにお尻おっきくならないとねっ」 「脱いで帰りなさいっ!」 ガッツポーズでやる気を見せたあぽろに、ルイズは声を荒げたのだった。 前ページ次ページゼロみたいな虚無みたいな
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前ページ次ページ虚無の魔術師と黒蟻の使い魔 力が欲しい。 ルイズの16年の人生。それは自身の無力を見せ付けられながら生きる16年。 親からはじめて杖を与えられたとき、これから自分が手に入れるであろう力に胸を膨らませた。 ルイズは日夜魔法の練習に明け暮れた。貴族として生まれたからには、どんな子供も己が魔法を使う姿を夢想して育つものだ。 だがルイズの夢想は現実のものになることはなかった。 はじめは、ただ純粋に子供の夢を現実にするため練習し続けた。 両親や二人の姉の応援・叱咤・激励・指導。そのころは素直に聞くことができた。 だがある時、ルイズは使用人たちが陰で何を話しているのかを知ってしまった。 曰く、二人の姉はルイズぐらいの年頃にはコモンどころかドットのスペルも使えるようになっていた。曰く、どこぞの貴族の子供はルイズより年下だが初めての魔法に成功したらしい。 膨らませた胸が、萎んでしまった。 両親や二人の姉の言葉の影に焦りが見える。(いつになったらこの子は魔法を使えるようになるんだ?) そして落胆。(この子には魔法の才能が与えられなかったのね) 以前のように家族の言葉を素直に聞くことができなくなってしまった。 そんな自分を嫌悪しながらも必死で魔法の練習をした。魔法が使えるようにさえなればこの暗い気持ちを取り除くことができる。 そう信じて魔法の練習に明け暮れる日々が続いた。 だがある時、ルイズの耳にまた使用人の言葉が入ってきた。 「可哀想に。姉二人はあんなに優秀なのに……」 その言葉はルイズの胸を抉った。 ルイズは自分が使用人に哀れまれるような存在だったのだと知った。 平民から哀れまれる存在だと知った。 それはルイズの知る貴族の姿ではなかった。 平民に哀れまれる貴族なんてものは、すでに貴族の範疇から逸脱しているのではないか? 貴族として生まれたはずなのに平民に哀れまれるルイズ。 本当に自分は貴族なのか。 本当に自分は誇り高きヴァリエールの一員なのか。 幼いころの、ただ魔法を使ってみたいという無邪気な気持ちは消えてしまった。 ルイズは貴族になるために杖を振るうようになった。 誰からも哀れまれないような力を手に入れるために杖を振るうようになった。 どこかにいるはずの、本当のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールを見つけるために杖を振るうようになった。 ルイズの胸は萎んだまま、魔法学院の一年間が過ぎた。 今、ルイズの目の前に大きく膨らんだ胸がある。 その胸の持ち主のメイドは恭しく一礼すると、ルイズの前に置かれたティーカップに紅茶を注いでいく。 その間もルイズの視線はその胸に注がれている。 一度目を向けてしまったら簡単に目を離すことはできない。 キュルケのようにことさらに胸を強調しているわけではない。むしろ窮屈なメイド服にその胸は押しつぶされているようだ。捨て目の利かぬものならば見過ごしてしまうところだろう。 だからこそ、一度目についてしまえば目が離せない。 もしこの胸が戒めを解かれたなら……。それはキュルケにも匹敵する力を持っているかもしれない。 メイドは紅茶を淹れ終ると、また一礼しその場を立ち去ろうとした。 その背中にルイズが声をかける。 「あなた……なかなかやるわね。名前を聞いておこうかしら」 メイドはルイズの言葉に少し小首をかしげながらも、 「シエスタと申します」 と名乗った。 「そう。ならシエスタ。あなたにお願いしたいことがあるんだけど、私、ちょっと色々あってお昼食べてないのよ。何か軽い食事になるようなもの持ってきてくれない? なければケーキとかでもいいわ」 ルイズが言うと、シエスタは「かしこまりました」と小さく一礼し、厨房のほうへと消えていった。 シエスタの姿が消えると、ルイズは空腹に紅茶を流し込み一つ小さくため息をつく。 結局ルイズが片付けを終えたのは昼休みも終わり、次の授業も半ばまで過ぎてしまった頃だった。 ルイズは、授業時間も半ばまで過ぎていることや、その授業が屋外での演習授業のため移動に時間がかかること、お腹が空いていること、とてもお腹が空いていること、お腹が空いて倒れそうなことなどを理由に授業には出ず食堂で食事をとることにしたのだ。 ルイズは暖かい紅茶を空腹に流し込むことで、とりあえず一息入れる。 (さて……) ルイズには今考えなくてはならないことがある。 迅速に答えを出さなければいけない問題。 ルイズが手に入れた力が異端かどうか。 魔法権利が異端か否か。 少し考えればすぐ結論が出る。 (どう考えても異端です。本当にありがとうございました) 系統魔法ではない魔法。ハルケギニアの人間がそう聞いたとき真っ先に思い浮かぶのは先住魔法だろう。エルフや吸血鬼など多くの亜人が使う魔法。 エルフも吸血鬼も人類の敵である。 先住魔法と誤解された場合。下手すればエルフの尖兵扱いされかねない。 それどころか魔法権利は、先住魔法と誤解されなくても明らかに異端だ。 ブリミルが作り上げたものではない魔法体系。 世界の公理を曲げるその力。人間が世界の公理に手を加えることができるのは『始まりと終わりの管理者』が人間をそう作ったからだ。 そしてルイズはその力を武装司書であるモッカニアから教わった。『過去神バントーラ』に成り代わり『本』の管理をする武装司書からだ。 魔法権利というこの力は、つまるところ異世界の神によって保証された力だ。 ルイズは心の中で苦笑いする。 (これじゃあ、異端というより異教よね) ハルケギニアに生きる以上、異端・異教など許されるものではない。 ルイズはもちろんブリミル教徒だ。 それがどれだけ敬虔なものかといえばなんとも言えないところだが、今の今までハルケギニアの常識的な範囲でブリミルの教えに背いたことはない。 生徒の中には食前の祈りなど、多少御座なりなものもいる。そういったものに比べれば自分は敬虔な信徒といえる、とルイズは思う。 だがそれも、貴族として始祖から与えられるべき魔法の才能を手に入れたい、そういった想いからきた信仰ではないか。 散々祈っても力を与えてくれなかったブリミル。 そして、異教のものとはいえ、欲しくて仕方のなかった力。やっと手に入った力。 ブリミルへの信仰を守るなら、異教の神の存在を認め、あまつさえその力に縋るということはできない。 だからと言って信仰のためにせっかく手に入ったこの力を捨てるのか? 「お待たせいたしました、ミス・ヴァリエール。申し訳御座いません。簡単なサンドウィッチしかご用意できませんでした。それとデザートのケーキです」 ルイズの思考を遮るように声がかけられた。シエスタがサンドウィッチとケーキの皿を持ってきたのだ。 「あぁ、うん。そこに置いて」 思考に耽っていたルイズは、少し呆けたような声でシエスタに命じる。 シエスタは皿をテーブルに置くと、再び紅茶を注ぐ。 それらの仕事を終えルイズの元を辞そうとするシエスタをルイズは呼び止めた。 「ねぇシエスタ。少し時間あるかしら?」 振り返るシエスタ。 「時間があれば聞きたいことがあるのだけど」 「聞きたいこと、ですか? あの、私はそんな貴族様の質問に答えられるような教養は持ち合わせておりません……」 シエスタは困った顔で答える。 「あぁ、知識とか教養は必要ないわ。ちょっとした暇つぶしの質問よ。『もし1万エキュー拾ったらどうする?』とか、そういう話、したりするでしょ? そういう質問よ」 「はぁ……」 ルイズはシエスタの困ったような顔を無視して話を進める。 「だから、あなたの思ったとおりのことを答えてくれればいいわ」 ルイズはそう言うと、サンドウィッチを一口かじり、咀嚼する。 そして小さく唾を飲み込むと、シエスタのほうを向く。 「もし、もしの話よ。もし、魔法を使えるようになるなら、あなたは使えるようになりたい?」 ルイズが聞くとシエスタは特に考えることもなく答える。 「それは、使えるのならば使いたいです。勿論」 シエスタはそこまで言って、喉の奥で小さく「あっ」と言う。自分の目の前にいる者が何者なのかを忘れていた。 貴族でありながら魔法を使えないルイズに対し、今の答えは軽率だったのではないか。 そう思い、恐る恐るルイズのほうを見ると、ルイズは特に気にした風もなく「そりゃそうよね」などと頷いていた。 「じゃぁ、次の質問。その魔法が……。いや、うん。それは後回しで。えーっと、じゃあ、魔法使えるようになったとして何をしたいの?」 ルイズは続けて質問した。 先程のルイズの態度といい、あくまで気軽な質問なのだろうと判断したシエスタは、素直な考えを述べることにした。 「やっぱりお金ですね。魔法を使ってお金を稼ぎます」 その言葉にルイズは少し苦笑いする。 (まぁ、やっぱり平民だもの、俗もいいところね) 「それが私の役目ですから」 そんなルイズの思考を遮るようにシエスタは言葉を続けた。 「役目?」 ルイズは聞く。 「私、八人兄弟の一番上なんです」 少し照れたように言うシエスタ。 「ですから、長女の務めとしてたくさんお金を家に入れられたらな、と。そして、故郷に帰るんです。 魔法が使えれば住み込みじゃなくても今以上に稼げるでしょうし。やっぱり、兄弟の一番上として、弟たちの面倒を見るのも役目ですから」 シエスタはそう言うと、少しさびしげな表情になる。 きっと、家族のことを思い出したのだろう。家族と一緒に暮らしていけるのなら、そのほうが良いに決まっている。 そのさびしげな表情に気づいたルイズは何か言葉をかけようと思ったが、気の利いた言葉が浮かばないのでやめておいた。 「じゃぁ、最後の質問ね」 ルイズはそう言うと、意を決したように一つ息を吐いた。 「もし、もしの話だからね! 魔法を使えるようになるのに、えーと、なんというか、あまり良からぬことをしなきゃいけないとかならどうする?」 「良からぬこと、ですか?」 「えーと、そうね、その、例えば! 例えばよ!? 魔法を使えるようになるのに異教の神様を信じなくちゃいけないとか、そんなだったらどうする?」 しどろもどろになりながらも、強い語気で言うルイズ。 その勢いに少し押されながらも、シエスタは暫し考える。 少し間をおいてシエスタは口を開いた。 「えっと。異教の神を信じればいいんですよね? 信じれば」 シエスタは『信じれば』という部分を強調して言う。 「そうよ」 ルイズが答えると、さらにシエスタが畳み掛ける。 「信じるだけでいいんですよね。毎日怪しげな儀式をしたりとか、その神様に生贄を捧げたりとか、教会に入れなかったりとか、そういった行動に制限はつきませんよね?」 「まぁ、そうね」 ルイズの答えを聞くと、シエスタはまた少し考え、 「ミス・ヴァリエール。その、あくまで例えばの話ですよ。もし異教の神を信じれば魔法を使えるならば、信じます」 と言った。 「異端よ、それ」 ルイズは短く言い放つ。 「た、例えばの話ですよね。勿論、私はちゃんと毎日お祈りしてますよ」 シエスタは慌てて例えばの話だと繰り返した。 「ええ。勿論、例えばの話よ。私もあなたも敬虔なブリミル信徒ですもの。例えば例えば。でも、例えばの話とはいえ、魔法が使えるなら異端者として生きることになってもいいってこと?」 ルイズも慌てて例えばだと強調する。 ルイズにとって、本当は例えばの話じゃないのだ。例えばの話にしておかないと困るのはルイズだ。 シエスタは少しばつの悪そうな顔をしながら口を開いた。 「それは、ばれたら異端でしょうけど……。頭の中で信じるだけならばれないじゃないですか」 シエスタの口から発せられた言葉に、ルイズは口をぽかんと開ける。 ばれなければ問題ない。 言うのは簡単だが、言ってしまったら元も子もない。 「ばれたら異端」。「ばれなければ異端ではない」。 その考え方は既に信仰とはかけ離れてる。 ルイズは悟る。 シエスタもブリミル教徒だ。 だが、シエスタが信仰しているのはブリミルではない。 シエスタの信仰は教会に向けられたものなのだ。教会の威光にひれ伏しているだけなのだ。 ルイズとシエスタでは異端の意味合いが違う。 シエスタにとっての異端は、教会を敵に回すということである。 ルイズにとっての異端は、ブリミルへの信仰を曲げることである。 ルイズとシエスタでは葛藤する場所が違うのだ。 ルイズも子供ではない。 ブリミル教徒の中に、シエスタのような者が幾らでもいるだろうことは解る。 言ってしまえば平民の貴族に対する忠誠も同じだ。 表面上は恭しく仕えている者も、内心がそうとは限らない。 自分のように、陰で平民から憐れまれる貴族だっているのだ。平民から反感を買う貴族など幾らでもいる。貴族に反感を持つ平民など五万といる。 貴族の中にもシエスタのようなものはいるだろう。別にブリミルを呪っているわけでも、異教の神を信奉しているわけでもない。ブリミルを信仰してはいる。 ただその信仰は、教会を敵にまわしたくないという思いから来ているというだけだ。 そして、ルイズの信仰がそうではないというだけだ。 『ばれなければいい』 やっと手に入れたこの力。それをすてるだなんてとんでもない。 自分が貴族であるためには、貴族としての役目を全うするためには力が必要なのだ。 その信仰が上辺だけの貴族はいる。だが、魔法の使えない貴族はいない。 ルイズは貴族になりたいのだ。 ならば答えは出ている。 「そうね。ばれなきゃ問題ないわね」 ルイズはその顔に薄く笑みを浮かべる。 だがシエスタは、ルイズのその目がかけらほども笑っていないことに気づいた。 その目はシエスタのことを見ているわけではなく、おそらくどこも見ていない。 シエスタは見てはいけないものを見てしまったような気がして、慌ててルイズから目を逸らす。 「変な話につきあわせちゃったわね。もう下がっていいわ」 シエスタはルイズの下から離れると、また忙しなく働き出す。 そんなシエスタを眺めながら、ルイズはサンドウィッチを口に放り込む。咀嚼しながら、再び思考に耽る。 (ばれなければいい……) シエスタは言った。ばれなければ異端ではない。 そういう信仰もある。 だがルイズの信仰は違う。 異端の、異教の力を使うのなら、ばれようがばれまいが異端以外の何物でもない。 しかしルイズは魔法権利という力を諦めるつもりはない。 ルイズの心はきまった。 せっかく手に入れた力を捨てることなど、ルイズにできるわけがないのだ。 ならば捨てるのは己の信仰。16年間信じてきたブリミルへの信仰。 ばれなければ異端ではないなどと、開き直ることはできない。 ルイズの信仰は教会にあるのではなく、己の心の内にあるのだ。ばれるばれないの問題ではない。自分自身を騙すことなどできない。 ならば己が異端だと認めるしかない。 騙すのは教会、そして家族。クラスメイト。教師。 己が異端だということがばれなければいい。 たとえ異端であろうとも、力を手に入れることでやっとルイズの貴族としての人生が始まるのだ。 「ばれなければいいのよ……」 呟くと、ルイズは立ち上がった。 前ページ次ページ虚無の魔術師と黒蟻の使い魔
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前ページ次ページ使い魔は妖魔か或いは人間か 滅亡を迎えるアルビオンに朝が訪れる。 ルイズが眠りから覚めると、もう日は昇りきっていた。 「もう昼過ぎかしら……」 太陽の位置から何となく時刻を察する。 眠りすぎたのを若干悔いつつ、手早く着替えを済ませた。 「お早う、ルイズ」 ルイズが扉を開けると、そこにはワルドがいた。 「おはよう、ワルド。ずっと待っていたの?」 「いや、まだ起きないようなら昼食を置いておこうと思って運んでもらったんだ」 老紳士然としたメイジが、食器を運んでいた。 「お目覚めですかな。 私、皇太子様の世話役を任されておりましたパリーです。以後お見知り置きを」 老メイジが深々と頭を下げ一礼する。 「昼食後で結構ですが、後に国王陛下が会見を望まれております」 「ええ、是非」 ルイズは作り笑いを浮かべようと努力する。 声がかすれながらも、何とか誤魔化せたようだ。 「ありがとうございます、国王陛下も喜びになられます」 パリーは笑顔でそう答えると、部屋を後にする。 老メイジの笑顔とは対照的に、ルイズの心は晴れないままだった…… 国王への謁見も終わり、夜を迎える。 ルイズはずっと部屋にいたかったが、そうもいかずパーティにだけは出席する。 表向きは華やかな宴、実態は最期の晩餐。 国王が逃亡するよう斡旋するも、部下達は笑って皆その場を立ち去ろうとしない。 誰もが陽気に笑い、破滅に向かう。 会場の光景がルイズには虚しさしか感じず、直視できない。 「アセルス……」 バルコニーで外をぼんやりと眺めていたアセルスにルイズが近寄る。 「どうしたの?」 ルイズに掛ける言葉は優しさに満ちている。 自分の心が砕けそうになった時、アセルスは受け止めてくれた。 一方で他人の命を躊躇いもなく奪う。 アセルスの二面性に、ルイズは戸惑いを覚える。 笑顔で滅びようとしている、アルビオンの貴族達のように。 「どうして彼らは笑っていられるのかしら……死ぬのが悲しくないの?」 「さぁ……私には分からないわ」 ルイズの望む答えはアセルスにも分からず、素直に告げる。 「アセルスは命の奪い合いが怖くないの?躊躇したりとか……」 ルイズの口調にいつもの明るさはない。 人が死に向かう姿を目の当たりにした経験はなかった。 「戸惑っていたら、その間に大切な人を失うから」 崖での尋問や宿での交戦。 殺さなければ、こちらが殺されていたかもしれない。 理屈は分かっていても、心の未成熟な少女の感情は揺らいだままだった。 「私も……アセルスにとって大切な人なの?」 「当然じゃないか」 アセルスはルイズの質問した意図が理解できない。 「私、ワルドに婚約されたの」 アセルスに衝撃を与えるルイズの告白。 「……ルイズは……どうするの?」 曖昧すぎるアセルスの問いかけ。 止めるにせよ決心させるにせよ、何か言わなければならないのに何一つ浮かばない。 「分からないのよ……自分でもどうすればいいのか」 弱々しく首を振って、目を伏せた。 「だから、アセルスに聞きたかったの。私は一体どんな存在なのか」 ルイズの一言一言に、アセルスは胸が締め付けられた。 動悸が激しくなり、何もしていないのに嫌な汗が流れる。 「……ルイズにとって、私は何?」 ルイズの質問に息が詰まりそうになりながら、かろうじて言葉を絞り出す。 「理想よ。貴族の理想、こうなりたいと願う憧れ」 アセルスの問いに、ルイズは即答する。 ルイズがアセルスを追求しだしたのは、ほんの些細な重ね合わせから。 ワルドの求婚。 アセルスの人生を追憶する夢。 人と妖魔の関係に気づいてしまった事。 最大の理由は、自身が理想が揺らいでしまった事。 名誉を守る為、滅びを恐れぬ彼らの姿は紛れもなく貴族の精神だ。 同時に愛する者を捨ててまで、死に行く彼らがルイズには納得できない。 「ねえアセルス……お願い、答えて」 か細い声と共に、アセルスのドレスの裾を掴む。 理想が揺らいだから、ルイズはアセルスを求めた。 求められる事で、自分が間違っていないのだと信じたかった。 無論、求められたからと言って正しさを証明できる訳ではない。 ルイズが行おうとしているのは、単なる現実逃避だ。 誰より孤独を嫌うから、他人に必要とされようと求める。 何もルイズだけに当てはまる事ではない、アセルスも同様だった。 「私は……」 傍にいてくれればそれだけで良かった。 かつてルイズに告げた台詞だが、アセルスは肝心な関係を伝えていない。 主従として、友として……或いは愛する者として。 どのように寄り添って欲しいかまではアセルスは告げていない。 追求された今、何と返せば正しいのか言葉が浮かばない。 いや、この問答に正解など無い。 アセルスは単に嫌われまいとしているだけだ。 だから、アセルスは自分の感情ではなく当たり障りの無い答えを返す。 一番愚かな過ちだとも知らずに。 「私は貴女の使い魔よ」 「そう……」 明らかに落胆したルイズの声。 アセルスには何が間違っていたのかが感づけない。 「私は人間よ……」 ルイズの口から出てきたのはアセルスからすれば拒絶にも等しい言葉。 「それは……」 二の句が継げない。 関係ないとでも言うつもりか? かつて白薔薇に妖魔と人間は相入れないと言っておきながら? 「いつか別れがくるわ……」 死について考えた時、自分も同じ立場だと気付いてしまった。 人間に過ぎない自分はいつかアセルスを置いて、死んでしまうと。 ルイズの宣告は、アセルスが気づきながらも考えようとしなかった問題。 「言ってたわよね、傍にいてくれるだけでいいって」 アセルスは声が出せない。 いくら足掻いても、喉が枯れたような呻き。 「でも、私じゃダメなのよ……」 ルイズの顔も悲壮に満ちていた。 「私はいずれアセルスを孤独にしてしまうわ……」 構わない、わずかな間でも孤独を忘れさせてほしい。 アセルスの頭に引き止める言葉は浮かぶも、口に出来ない。 何故なら、アセルスの本当の願いは自分と永遠を分かち合う存在。 人の身であるルイズには、決して叶えられない願い。 「ねえ……私、どうしたらいいかな?」 離れたくない、しかし種族の違いが二人の前に立ちはだかる。 思わずアセルスはルイズの腕を逃がさないように掴んでしまった。 「痛っ……アセルス…………?」 ルイズがアセルスを呼びかける。 掴んだ腕で華奢なルイズの身体を引き寄せる。 見慣れたはずのアセルスの紅い瞳。 それが今のルイズには、まるで別人に見えた。 「アセルス……怖い……!」 振りほどこうとするが、ルイズの力ではアセルスに適うはずもない。 怯えたルイズに対して、アセルスに過去の光景がフラッシュバックした。 オルロワージュを倒して、妖魔の君となった時。 ジーナを寵姫として迎えた時に残した彼女の言葉。 『アセルス様…………怖い……』 ジーナが怯えていたのは、慣れない針の城に迎えた所為だと思っていた。 ルイズの姿がジーナと重なる。 怯えていたのは自分にではないかと今更気づいた。 「止めないか!」 会話の内容までは知らないが、ただならぬ雰囲気にワルドが間に割って入る。 「とうとう本性を現したな、妖魔め!」 ワルドは杖を突きつけると、ルイズを庇う。 ルイズはワルドの背後でなおも恐怖から震えていた。 自分の何を恐れているのか? 疑問の答えはアセルスには決して紐解けないものだった。 人は常に最善の答えを探し出せるとは限らない。 しかし、限られた選択肢の中から次善策を見つけて生きる。 ジーナが陰鬱な針の城を嫌いながら、ファシナトールから離れられなかったように。 行く宛などなかったし、抜け出すだけの大金がある訳でもない。 結果、彼女は現実を妥協する。 だが、アセルスは城から逃げた。 受け入れねばならないはずの現実から逃げるようにして。 半妖の証明である自分の紫の血。 人間でなくなり、妖魔となった事実。 この時点でもアセルスに残された選択肢はいくつかあった。 例えば半妖として、蔑まれながらも生き続ける。 或いは主であるオルロワージュを討ち滅ぼして、妖魔の血を消し去る。 前者であればジーナがアセルスから離れはしなかった。 後者なら永遠の命を捨て、代わりに平穏な人生を得られたはずだ。 彼女は何の選択も行わず、逃げた。 妖魔として生きる道を選んだのではない。 自分の運命を呪うばかりで、選択を行わずに妖魔に堕ちたのだ。 シエスタの祖父が娘に語ったように、アセルスは運命を言い訳に使ったに過ぎない。 アセルスに残されたのは上級妖魔の血を継いだ事。 ルイズが貴族の自尊心に縋ったように、アセルスはオルロワージュを超えようと確執した。 寵姫の数や他者を支配するという目に見える成果だけを求めて。 決断を先延ばしにした結果、白薔薇を失った。 アセルスは白薔薇を自分勝手な使命感で失った自覚はある。 だが、後悔するだけで省みれなかった。 ジーナも失ってようやく、白薔薇が自分の下から去ったのではと気付かされた。 白薔薇は自分よりあの人を選んだのだろうかと、妬みにも似た感情に支配されるのはアセルスの稚拙さ。 現実を見ようとしなかった代償が押し寄せる。 その時、アセルスが選んだのはいつもと同じ行動だった。 「アセルス!」 ルイズの叫び声は空しく響きわたった。 アセルスはルイズの前から逃げ出したのだ…… ルイズもアセルスも気づいていない。 お互いが相手を求めながら、相手を見ていなかった現実。 ルイズはアセルスの半生を見て、彼女が苦悩を乗り越えた気高き存在だと思っている。 アセルスはルイズが自分で決断した目標、立派な貴族になるまで挫けないのだろうと思いこんでいる。 人の心はそれほど簡単ではないのに。 二人は擦れ違い続ける。 傍にいながらお互いの存在を正しく認識していないのだから。 「どうして……」 残されたルイズがアセルスの消えた闇夜に呟く。 「ルイズ、無事かい?」 ワルドが振り返る。 「どうしたんだい?今にも泣きそうな顔だ」 ワルドがルイズに語りかける。 「分からないのよ、何が正しいのか……」 誇り高いはずの貴族の行動が理解できない。 アセルスも、自分の前から逃げ去ってしまった。 何が間違えていたのか、答えをいくら求めても見いだせない。 「あれが妖魔さ……人を裏切る事など露程も思っていない」 ワルドは吐き捨てるように言い放つ。 「大丈夫、君の傍には僕がずっといるとも」 今にも泣きそうなルイズの肩に手を置いた。 優しい一言にルイズの頬から一滴、涙が溢れ落ちる。 「君は優しすぎる……だから、好きになったんだけどね」 泣いたルイズをそのまま抱きしめる。 張りつめた精神が緩んだ結果、泣き疲れてルイズは眠ってしまった…… 次にルイズが目を覚ましたのはベッドの上だった。 昨日割り当てられた自分の部屋なのだろうと、感づいた。 「やあ、起きたかい?」 ワルドの声がした扉の方を振り向く。 ワルドは給仕に暖かい飲み物を運んでもらっている最中だった。 飲み物が入ったポットを暖めてルイズに手渡す。 「落ち着いたかい?」 「ええ、ごめんなさい。みっともない所見せちゃって」 立派な貴族になるという志がルイズにはある。 だが、それをなし得たと思う出来事は一度もなかった。 魔法は未だに扱えないままだし、人に弱音を見せてしまうのはこれが二度目だ。 一度目の時。 その相手だったアセルスは何も言わずに立ち去ってしまった…… また戻ってくるかもしれないが、ルイズの心に暗鬱とした感情が溜まる。 再び会ったとして何を言えばいいのだろうか。 初めて、アセルスが妖魔である事を怖いと思ってしまった。 バルコニーでのアセルスの瞳。 信じていた相手にすら畏怖を与えるだけの重圧があった。 同時に、心に引っかかるのはアセルスが消える前に見せた表情。 既視感を覚えながら、ルイズには感覚の正体が何思い出せない。 「ルイズ」 ワルドの呼びかけにルイズが顔を上げる。 「もう一度言わせてくれ。ルイズ、僕と婚約して欲しい」 事の発端となったワルドのプロポーズ。 「ワルド、それは……」 「分かっている、君がまだ学生なのは。 不安なんだ、君がまた妖魔に殺されるんじゃないかと」 ルイズが否定しようとするより、ワルドが強くルイズの手を握る。 「アセルスは……」 そんな事はしないと言おうとして、言葉に詰まる。 ルイズの心情に構わず、ワルドは手を握り締めたままに捲し立てた。 「何も今すぐにと言う訳じゃない。 学校を卒業してからでもいいし、君が立派な貴族になったと思ってからでもいい。 ただ式をここで挙げたいんだ、二人っきりで」 「こんな所で?」 思わず、率直な意見を口にしてしまう。 「ウェールズ皇太子は勇敢な貴族だ。僕は皇太子に神父役を御願いしたいんだ」 ルイズが沈黙して考える。 ワルドに対しては少なからず好意を抱いている。 突然のプロポーズに困惑しているが、嬉しいと言う気持ちも無い訳ではない。 むしろ、自分なんかでいいのだろうかとすら思える。 グリフォン隊の隊長という立場にあるワルドと、魔法すら未だ使えぬゼロの自分。 「……本当に、私なんかでいいの?」 「君を愛しているんだ」 ワルドはルイズの質問に即座に答えてみせた。 「……うん」 長い沈黙の末に、ルイズが頷いた。 「本当かい!」 喜びにワルドは大声をあげ、ルイズの手を取る。 「ありがとう!必ず君を幸せにしてみせるよ」 ワルドが何気なく言った言葉。 幸せとは何か?願いが適う事だろうか? アセルスの願いは自分と傍にいる事だった。 ワルドの願いは……婚約? 自分の願いは……何だろうか? 立派な貴族になるという目標は少し違う気がした。 ここまでの疲れが出たのだろうか、カップを戻そうと立ち上がるとふらついてしまう。 そんなルイズの肩をワルドは優しく抱きとめた。 「僕がやるよ、君は明日の式に向けて休んでおくといい」 就寝の挨拶を交わして、ワルドは部屋を立ち去る。 ベッドの上に仰向けになったルイズを月明かりが照らす。 ぼんやりと何も考えられずにいると、ルイズはいつの間にか眠りに落ちていた…… 逃げ出したアセルスは何処とも分からない森にいた。 崖下には奈落のように暗く深い、夜空だけが広がっている。 『相棒……』 デルフが呟くが、何と声をかけていいのか分からなかった。 素人玄人問わずに多くの人間に使われてきた記憶は存在する。 大小問わず悩み、苦しむ使い手もいた。 しかし、アセルスのように半妖の悩みを抱えた者はいない。 彼女の心に混沌とした感情が渦巻いているのだけは伝わる。 300年生きたオールド・オスマンがルイズに何も言えなかったように。 デルフも何も言葉をかけられない自分の無力さに、歯があれば歯軋りしただろう。 「ルイズ……」 朧げに彼女の名前を呟く。 初めは好奇心に近かった。 自分を召喚した少女の境遇はあまりに自分と似ていた。 同時に、彼女ならば自らの苦悩を理解してくれるかもしれないと考える。 事実、ルイズは受け入れてくれた。 他人に見せられない弱さも自分の前では見せた。 それでも成長しようとするルイズを見て、美しいと思った。 問題は幾度も悩んだ、種族の差。 加えて、アセルスにとっては新たな苦悩があった。 白薔薇の頃はまだ無自覚だった。 友達や姉のように思っているだけだと自分に言い聞かせた。 『自由になってほしい』 白薔薇が最後に告げた台詞はオルロワージュからの支配の脱却だと思っていた。 『くだらないことに捕らわれるんだな。 姫も言ってたじゃないか、自由になれってね』 だからこそ、他人に指摘された時に動揺する。 ──本心では、私は白薔薇を愛していたのだと。 ジーナは生まれて初めてはっきりとアセルスが愛情を抱いた相手だった。 だが、ジーナも失った。 未だ理由が分からないまま、彼女は自らの命を絶った。 アセルスは二度の喪失から誰かを求めるのが恐ろしくなる。 自分を受け入れてくれた存在をまた失うのではないかという不安。 アセルスは気付き始めていた。 いつの間にか、他人を妖力で支配していた事実。 嫌悪していたはずの妖魔の力を当然のように扱い、欲望のままに行動していた。 「だって私は妖魔の君……」 違う、妖魔の力なんていらない。 人としてただ、平穏に暮らしたかった。 誰でもいいから必要とされたかった、妖魔ではなく自分自身として。 だから…… 「その為に、ルイズを利用した……」 寂しさや孤独を嫌った。 妖魔として生きると言いながら、人間のように理解者を求めてしまった。 召喚で呼び出された相手、ルイズが鏡写しのように思えたから。 一人の少女を地獄への道連れにしようとする行いだとも気づかず…… 『違う!相棒が嬢ちゃんを思う気持ちは本物だったはずだ!』 デルフの制止にも構わず、左の拳を地面に叩きつける。 地面を容易く抉ると同時に、アセルスの皮膚にも微かに血が滲む。 「紫の血……妖魔でも人間でもない血の色……」 見慣れたはずの血の色が、汚らわしく見えた。 デルフを掴むと自分の手に何度も何度も突き立てる。 叶わないと知っていても、自分の血を全て流してしまいたかった。 『よせ!相棒!!こんな事したって……』 妖魔の血がなくなる訳じゃない。 デルフが言葉を引っ込めたのは、アセルスの悲痛な表情を見たからか。 「ルイズは……結婚するって……」 アセルスの言動は、もはや支離滅裂。 それでも、ルイズから告げられた事実を噛み締める。 婚約。 もし自分が人間のままだったなら、誰かと結ばれた人生もあったのだろうか? そうなればジーナも……そう、ジーナも同じだ。 ──ただの人間として。 ──平凡だが、幸せな人生を満喫する権利が彼女にもあったはずだ。 ──彼女から全てを奪ったのは…… 「私だ……私がジーナを……」 アセルスが思い出すのは、針の城でジーナと二人になった時の事。 怯えるジーナにアセルスはこう告げた。 『大丈夫、二人で永遠の宴を楽しもう』 即ちジーナに自らの血を分け与えようとした。 人から妖魔になる。 どれ程の苦悩かは自分が一番知っていたはずなのに。 ジーナさえ傍にいてくれれば良かった。 だが、ジーナは本当に永遠を共にしたかったのか? 彼女はあくまで『人』として自分の傍にいたかっただけではないのか。 永遠を望んだのはアセルスのみ。 自分がジーナに妖魔として生きる事を強要していたと気づく。 ──寵姫をガラスの棺に閉じ込めていたオルロワージュのように。 『あの人』と自分が同じ過ちを繰り返していた。 一度陥った悲観的感傷に、己の愚かさを否応なく見せつけられた。 どれほど後悔しようと手遅れだった。 ジーナが目を覚ます事はもう二度とないのだから。 失うのを恐れた続けた結果、人から全てを奪ってしまった。 白薔薇の居場所も……ジーナの命も……ルイズからも全てを奪うだろう。 アセルスは立ち上がると、浮浪者のように彷徨い歩く。 『相棒、どこ行くんだ!城は反対の方向……』 「私はもう、ルイズの傍にいられない」 デルフの叫びに力なく頭を振ると、ルイズの元に戻らない事を伝える。 『何を言ってんだ!?』 「きっと彼女を不幸にするもの……」 ジーナや白薔薇のように。 ルイズも自分の運命に巻き込んでしまうのを恐れた。 いや、既に巻き込んでしまっている。 これ以上、自分に付き合わせてはいけない。 運命に負けた敗残者の自分。 掲げた目標に向けて進むルイズ。 彼女の重りにしかなりえないと思い込んで、アセルスは姿を消した…… 前ページ次ページ使い魔は妖魔か或いは人間か
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前ページ次ページ蒼い使い魔 「あれ…?」 ルイズは見知らぬ場所で一人ぽつりと佇んでいた、 ここはどこだろうか? ヴァリエール家の秘密の場所? いや…違う、まるで見覚えのない場所、 辺りには板状に切りだされた不気味な石のオブジェが不規則にいくつもいくつも並んでいる。 「なにここ…なんだか不気味…」 そう言いながらとぼとぼと歩きだす。辺りは薄暗いが空には血のように紅い月が不気味に輝き 足元を照らしているため転ばずに済んだ。 周囲は静寂に包まれており、ルイズの足音だけがさみしく響き渡る。 「誰かいないの? ねぇ? バージル!? いたら返事してよ!」 孤独感に耐えられなくなり大声で己が使い魔の名前を叫ぶ、 だがその声は闇の中に吸い込まれ誰も返事をする者はいなかった。 「もう…なんで誰もいないの…? バージル…どこにいっちゃったのよ…」 ルイズはさみしさに押しつぶされそうになりながら、また歩き出す、だが歩けど歩けど一向に周囲の景色が変わることはなかった。 「なんなのよ! ここは!」 ついに我慢しきれなくなり大声を上げる、そして地面にへたり込むとあたりを見渡した。 「それにしても…なんなのかしら、この石のオブジェは…まさか墓石だったりとか…」 ルイズはそう呟きながらふらふらと立ち上がりオブジェへと近づいて行く、 調べてみると何やら馴染みのない異国の文字が書いてある。 そこになんと書いてあるのかはルイズには読むことができなかった。 「やだ…これってやっぱり墓石…」 だがそれだけでも墓石と判断するには十分だった、ルイズは呻くように後ずさると再び地面にへたり込む。 「じゃ…じゃあ…こ…これ全部…?」 ルイズはとたんに恐ろしくなり周囲を見渡す、そこにはまるでルイズをぐるりと取り囲むように墓石が並んでいた。 「あ…あぁ…こ…これは夢よ…! そう…夢…! だ…だからすぐ醒める…こんなっ…!」 ルイズは恐怖心にかられながら、頭を抱えうずくまる。 そうだ、昔ちいねぇさまに教えてもらったことがある、怖い夢を見た時は楽しい事を考えるんだ、 そうすれば自然に怖い夢が楽しい夢に変わる。 思い出したルイズは必死に楽しい事を考えようと努力する。だが… ―ボコッ…ボコボコッ… 何かが、地面から這い出る音がする。 ルイズが思わずその方向へ顔を向けると… 手に大鎌や槍、大剣などを持った悪魔の群れが、墓石の下から這い出てくるのが見えてしまった。 「ひっ…!!」 恐怖に身体がすくみあがる。周囲に存在するすべての墓石から悪魔達が這い出てくる。 見渡す限り悪魔、悪魔、悪魔、その全てがルイズへとにじり寄ってくる。 「こ…こないで! こないで!」 ルイズが杖を抜こうとすると。いつも杖があるべき場所に杖がない。 「う…嘘っ!? そんな…い…いや…た…助けて…バージル…」 ルイズの体を絶望と恐怖が支配する、このまま悪魔に殺されてしまうのだろうか? にじり寄る悪魔の一体がルイズに向け剣を振り上げる、ルイズは恐怖で目をつむった。 「ッ…!」 ―ガキィンッ! と言う剣と剣がカチ合う音が響く。 ルイズが恐る恐る目をあけると… 目の前にはルイズよりも小さい銀髪の少年が悪魔の振り下ろした剣を刀で受け止めていた。 「逃げろ! ×××!」 少年は振り向くとルイズに向け叫ぶ、誰かの名前を呼んだ気がしたがよく聞き取れなかった。 「え…だ…だれ…?」 ルイズは驚き少年を見るが髪の毛が目元を隠しており誰だか識別することはできない。 腰を抜かしたルイズはそのまま少年を見守るしかできなかった。 十歳くらいの少年が、自分の背丈よりも遥かに長い刀を振りまわし必死に悪魔を斬り倒している。 その刀にルイズは見覚えがある、閻魔刀だ、ではあの少年は…? 「バー…ジル…?」 悪魔達はすでにルイズのことは視えていないらしく次々少年へ襲いかかる。 斬り飛ばされた悪魔の首が少年の腕にガブリと噛みつく、 ―ベキッ…! ベギッバキッ! という骨が噛み砕かれる嫌な音、 「がっ…!」 短い悲鳴をあげ、右手から閻魔刀を取りこぼす、が、すぐさま左手で受け止めると 柄頭で腕に噛みついた悪魔の頭を叩き潰す。 「ハァッ…! ハァッ…! ハァッ…!」 少年の息は荒い、すでに満身創痍だ。 ―ボコッ… 少年の足もとの土が盛り上がる。 「っ!?」 少年が気がついた時には遅く、地面から生えた槍が深々と少年の胸部を貫いた。 「ぐあっ…!」 短い悲鳴をあげながら少年は地面に倒れ伏す、 ―ヒューッ…ヒュッ…ヒューッ… 肺から空気が漏れる音がする、少年は墓石に背中を預けながらも地面に突き刺さった閻魔刀へと必死に手を伸ばそうとする… だがその少年の眼に映ったものは閻魔刀ではなかった、手を伸ばした閻魔刀のさらに先にあるもの… 小高い丘の上に建つ一軒の家屋、それが勢いよく炎を上げ燃え盛っている様子が目に入った… 少年の眼が絶望で染まる、おそらくは彼の家なのだろう、 「ぁ…ぁ…か…ぁ…さん…」 彼が消え入りそうな声で母を呼ぶ。 悪魔達が彼を取り囲む、その中の一体が地面に突き刺さった閻魔刀を引き抜くと… 彼の心臓目がけ突き刺す、それを合図とするように次々と悪魔達は彼の体に武器を突き刺していった。 その様子をみながらルイズは声にならない悲鳴を上げることしかできない… 墓石にはりつけられた少年の指がピクリと動く… 「か……かあ…さん…××…×…」 少年はゴブッと大量の血を吐き出しながら燃え盛る家屋に向け弱弱しく手を伸ばすと…ガクリと崩れ落ちる。 奇しくもルイズは彼が寄り掛かる墓石に刻まれた文字を読むことができた… そこに刻まれていたのは ‐ VERGIL ‐ 「いやぁああああああ!!!!!」 ルイズはあらん限りの声をあげて涙を流す。今すぐにでも倒れ伏した少年のもとへと走っていきたい…! だがルイズの足は動かない、動かす事が出来ない、まるで過去の映像を見るかのように 場面が切り替わるのをただただ見ているしかできないのだ。 「もうヤダ! やめて! おねがいやめて! こんなの見たくない!」 ルイズは涙を流しながら頭を振りまわす、しかし夢は一向にさめることはなかった 「う…うぅ…う…もうヤダぁ…ヤダよぉ…こんなの…バージル…助けて…」 目の前で起きたことにルイズは蹲った。 ―クッ…ククッ…クククククク…ハッ…ハハッ…ハハハハハハハ!!! 突如墓石にはりつけられ息絶えたかに見えた少年が声をあげて笑いだす。 ルイズが驚いて顔を上げると、少年が自身の体に刺さった武器など意に介さないように立ち上がり、 一本一本抜き取っていく、少年の眼はまるで血のように紅く染まり、口元を大きく歪め…笑っていた… そして最後に心臓に突き刺さった閻魔刀を引き抜と、自分に襲い掛かった悪魔の群れに猛然と走りだした。 悪魔の群れを斬り倒し、薙ぎ払い、殺しつくす、目の前で行われているのはただただ一方的な殺戮。 悪魔達は抵抗らしい抵抗もできず少年に斬り殺されていく。その中で少年は、楽しそうに笑っていた、 ルイズはそれを、『恐ろしい』と感じる。やがて全ての悪魔を殺し終えた少年がふらふらと歩きだした。 そして不意に立ち止まると…燃え落ちた民家の方向を見て、場面はそこで停止した。 呆然と紅い月をバックに立ち尽くす少年を見ていたルイズの頭に突然声が響く。 ―力は素晴らしい ―どんな悪魔もスパーダの力の前にはひれ伏す ―凡百の悪魔などスパーダの力の前では赤子と同じ ―無残に母を殺し、残酷に弟を害した悪魔に死を ―憤怒、後悔、哀惜、絶望、疑問、戸惑い ―その『痛み』が快感であり、その『痛み』こそが力となる ―全てを守るために選んだ道 ―暴虐に終止符を打たせる力 ―父の名に誓い、俺はそれを求めている ―俺の決意も力も、決して壊せはしない 『更なる力を望むや否や?』 「失せろ」 ―ガシャァン!! というまるでガラスが砕け散るような音が響きわたる。 見るとあたりの風景がその音とともに崩れ落ち漆黒の闇に閉ざされる。 ルイズが驚いて周囲を見回す、すると闇の中に誰かが立っている。 そこには閻魔刀を抜き放ったバージルが立っていた。 「バージル!!」 ようやく見つけた、この悪夢から救い出してくれる己が使い魔 ルイズは使い魔の名前を叫びながら駆けだす、 そしてバージルにおもいっきり抱きついた。 「どこに行ってたのよ! 呼んだらすぐに来なさいよ! このばかぁ!」 ルイズは泣き叫びながらバージルの胸板を叩く。 バージルは微動だにせず、ただ自分の胸で泣くルイズを見下ろし…静かに口を開いた、 「ルイズ…お前も…俺の邪魔をするのか?」 「えっ…?」 その言葉にルイズが顔を上げる、言葉の意味が分からない。 バージルの髪は垂れ下がり目元を隠しているためその表情をうかがうことはできなかった。 「邪魔だなんてそんな…。私はただ…」 そこまで言うとルイズの頭の中に再び声が響く。 ―あの日、『人間の』俺は死んだ ―俺の決意はなにも変わってはいない、俺は俺の道を征くだけだ ―邪魔をする者は、誰だろうと斬る 「な…なに…? なんなの…これ…」 ルイズがバージルから離れるようにふらふらと後ずさる、すると…目の前で何かが光った、 ―ポタッ…ポタッ… となにかが滴り落ちる音が聞こえる 「え…?」 ルイズが恐る恐る視線を下へ向ける…そこにあったのは… バージルの手に握られた閻魔刀が自分の腹を深々と刺し貫いていた。 あぁ、さっきの音は血の音か…ルイズはまるで他人事のように考える、 夢だからだろうか? 不思議と痛みは感じない、だが、閻魔刀の冷たい感触が体を貫いているのだけは感じることができた。 「な…なん…で…バージル…」 ルイズが何が起こったかわからないといった表情でバージルを見る、 二つの視線が交錯した。 ルイズの瞳は起こったことが信じられないと言いたげに時折歪み、バージルはルイズをただ冷たく見下ろしている。 一拍置いた後、ルイズの腹から情け容赦なく刃を引き抜いた、 ルイズは一瞬大きく身体を泳がせて、後はそれきり硬直し…膝をつき前のめりに倒れこんだ。 バージルはそれを見た後、暫し額に片手の指先を這わせ… 何やらもの思わしげな風情だったが、すぐにその考えを振り払うようにそのまま前髪を掻きあげる。 そうすることにより現れた彼の顔は、表情などカケラも無い冷たい空気を纏っていた。 「ど…どうして…? バー…ジル…」 ルイズが振り絞るように声を出す、 「ルイズ…警告だ、俺の邪魔をしないでくれ」 彼には珍しく―それこそ一度も聞いたことがないほど静かな口調でそう言うと、閻魔刀に付着した血を振りはらう。 そして後ろを振り返ると右手の閻魔刀を強く握りしめ、強い歩調で歩きだす。 彼の視線の先には紅く輝く三つの眼、そして視界を埋め尽くすほどの悪魔の軍勢があった。 「だめ…行っちゃ…だめ…お願い…行かないで!」 ルイズはバージルに腹部を貫かれながらも必死に這いつくばりバージルを追おうと足掻いた、 だが彼の背中はどんどん遠くなる。眼が霞む、瞼が…重い…、闇が…降りてくる…。 「バージルッ!!」 ―ガバッ、とルイズが勢いよくベッドから跳ね起きる。 「ハァッ…ハァッ…ハァッ…ハァッ…!」 心臓がうるさいほど高鳴っている。息が苦しい… 全身は汗でぐっしょり濡れており、眼がしょぼしょぼする、夢を見ながら泣いていたらしい 「夢…」 ルイズは呟きながら部屋の中を眺めまわす、そこはいつもと同じ、自分の部屋。 少し離れたところにあるソファにはバージルが横になっている。 「(あの夢って…バージルの…過去…?)」 とにかく落ち着こう、そう思いテーブルの上の水差しからコップに水を注ぎ、飲みほす。 今まで見たことがないほどの、過去最悪の悪夢だ。今でも鮮烈に思い出せる、あの恐怖。腹部を貫いた閻魔刀の冷たさ。 ルイズは自分のお腹をさする、夢の中とはいえ、バージルに刺されたのはかなりショックだった。 「…バージル?」 ルイズはソファで横になっている自分の使い魔に声をかけてみる するとバージルは静かに目を開いた。 「どうした?」 「あ…う…その…夢…そう…夢を見たの…そのなかでね…わたし…あんたに殺されちゃった…」 ルイズは絞り出すように今見た悪夢の内容をバージルに話す。 普段なら「夢の中でご主人さまを殺すなんてどういうつもりよ!」と癇癪を起こすところだが あまりにも悲惨で壮絶な彼の過去と覚悟を目の当たりにしたせいかそんな気力は消え去っていた。 「これも…ルーンの効果か? くだらんことを…ますます気に入らん…」 それを聞いたバージルは眉間に深い皺を寄せ左手のルーンを睨みつける。 バージルはルーンによって過去を心を勝手に覗き見られたことに強い不快感を示す。当然だ。 彼にとっては最も触れてほしくない記憶… かといってルイズも自ら望んでそれを見たわけではないので責めるわけにもいかない。 自傷防止の効果がなければ即座に閻魔刀でルーンを左手の肉ごと削ぎ落としているだろう。 「その…ごめんね…」 険しい表情のバージルにルイズが恐る恐る謝る。 「なぜお前が謝る必要がある。すべてはこのルーンが原因だ。 …元をたどればお前にも責任はあるが、そこまで責める気は無い。 夢の中で俺に殺されたのなら、それでチャラにしておいてやる」 「もう…人が謝れば調子にのって…すごく怖かったんだから…」 ルイズはそう呟くとベッドの中へと戻る、 そしてシーツをかぶると再びバージルを見る。 「ねぇ、ちょっとこっち来なさい」 「なんだ…」 「あ…あんたのせいで怖くて寝れなくなっちゃったのよ! だから…その…そ…そばにいてほしいの!」 「殺された相手にか? 変わった女だ」 バージルは呆れたようにソファから立ち上がるとベッドに寄りかかるようにドカッと腰を下ろす。 「朝までここにいてやる」 「…ありがと」 「世話が焼ける…」 ルイズはバージルの背中に身体を寄せると、静かに寝息を立て始めた。 翌日 トリステインの王宮でアンリエッタは客を待っていた。 女王へ位を上げたとはいえ、のんびり玉座に腰をかけているわけではない 王の仕事は主に接待である。戴冠式を終え女王となってからは国内外の客と会うことが多くなった。 内容は何かしらの訴えや要求、ただのご機嫌うかがい、 アンリエッタは朝から晩まで誰かと会わなければならない羽目になっていた しかも不幸なことに今は戦時中のため普段より客が多い、 どのような相手であれ威厳を見せねばならないため大変に気疲れしていた。 マザリーニの補佐がなければとっくにダウンしているだろう。 しかし、次に自分の目の前に現れる客は違う。先のような対応をしなくてもいい、だけどとても大事な客。 部屋の外で待機している呼び出しの声が聞こえた。客がこの場に到着したのである。 アンリエッタは溢れる嬉しさを少しばかし我慢した。もう少しだけ女王の態度をとらなければ。 無理矢理作った口調で、「通して」と告げる。すると、固く閉ざされていた扉がゆっくりと開いた。 ルイズが立って恭しく頭を下げる、その隣には彼女の使い魔、バージルの姿が―見えなかった。 「ルイズ! あぁルイズ! 会えて嬉しいわ!」 ルイズは頭を下げたまま、応える。 「姫さま……、いえ、陛下とお呼びせねばいけませんね」 「そのような他人行儀を申したら承知しませんよ。ルイズ・フランソワーズ。 あなたはわたくしから最愛のお友達を取り上げてしまうつもりなの?」 「ならば…、いつものように姫さまとお呼びいたしますわ」 「そうしてちょうだい。ねえルイズ、ホント女王になんてなるんじゃなかったわ。退屈は二倍。窮屈は三倍。そして気苦労は十倍よ…」 アンリエッタは疲れ切った表情を浮かべながらため息を吐く。 「そういえば…ルイズ、あなたの使い魔の方は?」 「あ…えと…バージルは別室で待機させています、その…そう! た…体調が悪いとかで…!」 その問いかけにルイズは目をすごい勢いで泳がせながら答える。 「そう…一言お礼を申し上げたかったのだけれど…」 無論ルイズは嘘をついている、まさかバージルがアンリエッタとの謁見を拒否した、とは言えない。 「あの女に膝をつくのは死んでも御免だ」 とバッサリ言われあきらめることにした。アンリエッタの前で空気を読まない発言を連発されるよりは遥かにいい。 バージルがアンリエッタをあまりよく思ってないのは確かだ、そもそもあの男に気に入られる人間がいるかどうかは甚だ疑問だが…。 「あの…姫様? お礼…と仰いましたが…?」 ルイズは先のアンリエッタの言葉を聞き返す。 そもそもここに呼ばれた理由はなんだろうか? 今朝がた急にアンリエッタからの使者が魔法学院にやってきたのである、 二人は授業を休みこうしてアンリエッタが用意した馬車に乗りここまでやってきたのだった。 やはり呼ばれた理由は『虚無』のことなのだろうか? するとアンリエッタはルイズの手を握る、 「先のタルブでの勝利は、あなたと彼のおかげだもの、お礼をしなくちゃ」 ルイズはアンリエッタの表情をはっとした表情で見つめる。 「わたくしに隠し事はしなくて結構よ。ルイズ」 「わたし…なんのことだか……」 それでもとぼけようとするルイズにアンリエッタはほほ笑むと羊皮紙の報告書をルイズに手渡した。 その報告書をかいつまむとこう書いてあった。 『所属不明の風竜から飛び出した蒼い衣を纏った銀髪の騎士が次々と敵竜騎士隊を撃墜、駆逐』 「(あれだけムチャクチャやればそりゃ目立つわよね…)」 それを読んでルイズは大きくため息を吐く 「ここまでお調べなんですね…といっても、この蒼い衣の剣士って時点でバレバレですよね…」 「あれだけ派手な戦果をあげておいて隠し通せるわけがないじゃないの。 兵たちの間では黙示録の騎士とも呼ばれていますが、わたくしにはすぐにわかりましたわ。 だから彼にもお礼と恩賞を与えたかったのですけれど…」 アンリエッタはそこでクスクスと笑うと、もう一度ルイズの目を見て言った。 「多大な…本当に大きな戦果ですわ、ルイズ・フランソワーズ。あなたとその使い魔が成し遂げた戦果は、 このトリステインはおろか、ハルケギニアの歴史の中でも類を見ないほどのものです。 本来ならあなたに領地どころか小国を与えて大公の位をあたえてもよいくらい。 そして使い魔さんにも特例で爵位を与えることもできましょう」 「わ…わたしはなにも…手柄を立てたのはあいつ…使い魔で…」 ルイズはぼそぼそと言いづらそうに呟く。 「あの光はあなたなのでしょう? ルイズ、城下では奇跡の光だと噂されていますが 私は奇跡を信じません。あの光が膨れ上がった場所にあなたたちが乗った風竜がいた、 あれはあなたなのでしょう?」 ルイズはアンリエッタに見つめられこれ以上は隠せないと判断し、 「実は…」と始祖の祈祷書のことを話し始めた。 「では…間違いなく私は『虚無』の担い手なのですか?」 「そう考えるのが正しいようね」 ルイズは溜息をついた。 「これであなたに、勲章や恩賞を授けることができなくなった理由はわかるわね? ルイズ」 「はい」 「だからルイズ、誰にもその力のことは話してはなりません。これはわたしと、あなたとの秘密よ」 すると、考え込んでいたルイズが何か決心したかのように、アンリエッタを見つめ口を開く。 「おそれながら姫さまに、わたしの『虚無』を捧げたいと思います」 「いえ…、いいのです。あなたはその力のことを一刻も早く忘れなさい。二度と使ってはなりませぬ」 「神は…、姫さまを…トリステインをお助けするためにこの力を授けたはずなのです!」 しかし、アンリエッタは首を振る。 「母が申しておしました。過ぎたる力は人を狂わせると。『虚無』の協力を手にしたわたくしがそうならぬと、誰が言いきれるのでしょうか?」 ルイズは昂然と顔を上げる、自分の使命に気がついたような、そんな顔であった。しかしその顔はどこか危うい。 「わたしは、姫さまと祖国のためにこの力と体を捧げなさいとしつけられ、信じて育って参りました。 しかし、わたしの魔法は常に失敗しておりました、ついた二つ名は『ゼロ』。嘲りと侮蔑の中、いつも口惜しさに体を震わせておりました」 ルイズはきっぱりと言い切る、 「しかし、そんなわたしに神は力を与えてくださいました。わたしは自分の信じるものに、この力を使いとう存じます。 それでも陛下がいらぬとおっしゃるなら杖を陛下にお返しせねばなりません」 そんなルイズの口上にアンリエッタは心を打たれた。 「わかったわ…ルイズ、あなたは今でもわたくしの一番のお友達、 あなたがわたくしを信じてくれている限り、わたくしもあなたを信じ決して裏切らないことを始祖に誓いますわ…」 「姫様…」 ルイズとアンリエッタはひしと抱き合った。 謁見を終えたルイズがバージルを迎えに別室へと向かう。 ルイズがドアをあけると、部屋の中に『体調不良』で休んでいるはずの男が 優雅にティーカップ片手に足を組みながら本を読んでいる光景が目に入った。 「バージル、終わったわ、帰るわよ」 バージルはその言葉を聞くとテーブルにティーカップを置き、部屋を出た。 王城の廊下を二人で歩いているとルイズがバージルの横腹を肘でつつく。 「姫様があんたに『お体にお気をつけてくださいね』ですってよ」 「……ふん」 バージルはつまらなそうに鼻を鳴らすと横目でルイズを見ながら話しかける、 「ルイズ、なにか下らんことを言ったのではないだろうな?」 「何よ下らないことって、ただこれからも変わらず姫様に忠誠と『虚無』をささげるって誓っただけよ」 「それが下らんと言うのだ…」 呆れたように吐き捨てるバージルにルイズはキッとなって睨みつける。 「貴族が陛下に忠誠を誓うのは当然のことよ! 姫様も私が信じている限り決して裏切らないと始祖に誓ってくれたわ!」 ツンと胸を張って答えるルイズはなにやら書面を取り出した 「何だそれは」 「許可証よ、女王陛下公認のね、簡単にいえば女王の権利を行使する権利書ってところね、 あぁ…姫様はそれほど私を信頼してくださってるんだわ…私もそれに答える、姫様のためにね」 そう言いながら悦に入るルイズを見ると、バージルは小さくため息を吐いた。 「あ、そうそう、忘れるところだったわ、はいこれ」 ブルドンネ街に入ったところでルイズは思い出したかのようにバージルに何やら皮袋を手渡す、掌に収まる大きさだがなかなかに重量がある。 「…これは?」 「姫様からあんたにだって、タルブでの恩賞、ありがたく受け取っておきなさい」 「金と…宝石か、まぁいいだろう」 バージルが袋の中を確認するとコートのなかにしまい込む、彼にとっては地位よりも価値のあるものだ。 「あんたも姫様のご期待にちゃんと答えるのよ! 私の使い魔なんだから!」 「断る、俺はお前とは違ってあの女に忠誠を誓う気など毛頭ない。今回はたまたま利害が一致しただけだ」 やっぱりこいつをアンリエッタに合わせなくて正解だった、その言葉を聞きルイズは心底そう思った。 「何言ってるの!? ご主人様が生涯忠誠を誓う相手には使い魔も忠誠を誓うのは当然でしょ?」 「知らんな、俺は魔界に行く。いつまでもここに留まる気はない」 「口を開けば魔界魔界! 勝手に行けばいいじゃない!だれも残ってほしいなんて頼んでないわ」 ルイズはぷいっと顔をそらすとバージルより歩調を速めて歩き出した 「そうか、ではそうさせてもらおう」 バージルは事もなげに言う、まるでその言葉を待っていた、と言わんばかりだ。 「えっ!?」 その言葉が聞こえたのかルイズが立ち止まり振り返る、あまりにあっさりバージルがその言葉を受け入れたからだ。 「なっ…て…手がかりはあるの!? ないんでしょ? 行けないかもしれないじゃない…! そんな場所にどうやって行こうっていうのよ!?」 「手がかりならある」 バージルはそう言うとコートから一冊の本を取り出す、それは昨晩読んでいた本だ。 「な…なんの本?」 「『魔剣文書』。スパーダが封じた魔界への道が書かれている。この世界にもあるとは思わなかったが、 つい先日見つけた、この世界にも魔界への道が存在するのは確かだ」 「う…そ…」 「解読が終わればすぐにでもここを発つつもりだ、路銀もこの通りだ」 バージルはにべもなくそう言うと呆然と立ちすくむルイズの横を通り過ぎ、人込みをかき分け消えていった。 バージルは歩調を緩ませることなく人込みをかき分け歩いて行く。 城下は戦勝祝いで未だにお祭り騒ぎ、酔っぱらった一団がワインやエールの入った盃を掲げ 口々に乾杯! と叫んではカラにしている。 ルイズはバージルの口から出た言葉にしばし立ち尽くしていたが、バージルの姿がないことに気がつく、 長身で銀髪にロングコートという割と目立つ格好とは言え人ごみに紛れてしまい、まるで姿が見えない。 ルイズは慌てて駆けだした。 「いてぇな!」 勢いあまって、ルイズは男にぶつかってしまった。 どうやら傭兵崩れらしい、手には酒の壜をもって、それをぐびぐびラッパ飲みしている、 相当出来上がっているようだ。 ルイズはそれを無視し男の脇を通り抜けようとしたが、腕を掴まれた。 「待ちなよ、お嬢さん、人にぶつかって謝りもしねぇで通り抜けるって法はねぇ」 傍らの傭兵仲間らしき男が、ルイズの羽織ったマントに気がつき 「貴族じゃねぇか」と呟いた。 だが男は動じず、まだルイズの腕を強く握っている。 「今日はタルブの戦勝祝いのお祭りさ、無礼講だ! 貴族も兵隊も町人もねぇよ。 ほれ、貴族のお嬢さん、ぶつかったわびに俺に一杯ついでくれ」 男はそう言うとワインの壜を突き出した。 「離しなさい! 無礼者!」 ルイズが叫ぶと男の顔が凶悪に歪んだ 「なんでぇ、俺にはつげねぇってか。おい! 誰がタルブでアルビオン軍をやっつけたとおもってるんでぇ! 『聖女』でもてめぇら貴族でもねぇ! 俺達兵隊さ!」 男はそういうとルイズの髪をがしりと掴もうとしたその時 男の頭の上からワインがどぼどぼと浴びせられる。 いつの間にか男の後ろに立っていたバージルがワインの壜を奪い男の頭の上から浴びせかけていたのだった。 「ぶっ…なっ…なんだテメェ! なにしやがっ―」 男がそこまで言い切る間もなくバージルの手が男の首をガシリと掴み上へと持ち上げる。 首を掴まれ立つべき地面を失った男がジタバタともがく、がバージルの手はまるで万力のように男の首を締めあげた。 「あ…がっ…ごっ…」 「お…おい! てめぇ! 何しやがる! は…離しやがれ!」 締め上げられた男が顔を蒼白にしながら泡を吹き始め、それを見て慌てた傭兵仲間達がバージルを取り囲む。 バージルは首を掴んでいた手をパッと離し、男を地面に放り出す。 地面に放り出された男はビクビクと痙攣し口から泡を吐いている。 「お…おい…コイツはやばい…」 バージルの眼をみた傭兵の一人が顔を蒼くして呟く、 長年戦場を生き抜いてきた長年の勘が、いや、生命の本能部分が告げる。 ―この闇と戦ってはならない。 今まで味わったことのない濃厚な死の気配、この男は数多の死を振りまいてきた魔人だと直感する。 その恐怖は周囲を取り囲んだ傭兵達に伝染したのかじりじりと後ずさる。 「ひっ…ひぃいい…」 その中の一人が逃げ出すと傭兵達は気絶した男を無視し蜘蛛の子を散らすように逃げだした。 「………」 それを見送ったバージルは無言のままルイズの横を通り過ぎて行ってしまった。 ルイズはハッと我にかえるとバージルを追いかけコートの袖をぎゅっと握る、 離したら今度こそどこかに消えてしまいそうで不安になったからだ。 「その…ごめん…」 「何故謝る」 「………」 怒ってるのかな? そう考えたルイズはバージルの顔を覗き込む その横顔は、やはりというべきか、氷のように無表情だった。 引きずられるようにルイズは歩く。助けに来てくれたことはこれが初めてではない。 けれど来てくれたときは本当にうれしかった。冷たくされた分だけ気持ちは弾んだが、 それを悟られたくないと思ってしまうルイズだった。 気がつけばルイズはバージルの手を握っていた。バージル自身が握り返してくることはなかったが、 振り払いはしなかった。 ルイズはそんなバージルと歩くうちにだんだんと楽しくなり始めた。 街はお祭り騒ぎで華やかだし、楽しそうな見世物や珍しい品々を取りそろえた屋台や露店が通りを埋めている。 その中をバージルとルイズが手をつないで歩いて行く。バージルは相変わらず前のみを見て歩いているが、 ルイズは物珍しそうにあたりを見回していた。 もしこの場に彼の弟―ダンテがいたらなんと言うだろうか? 『オイオイ…俺は夢でも見てんのか? あのバージルが女と手をつないで歩いてるよ! どうりで妙な天気なわけだ…こりゃ空から女の子が降ってきそうだな!』 その言葉を皮切りに壮絶な兄弟喧嘩が幕を開けるだろう。 …それは置いておいて、辺りを見回していたルイズが「わぁっ」と叫んで立ち止まる 「……?」 バージルがルイズの見ている方向を見ると、そこには宝石商の露店があった。 建てられた羅紗の布に指輪やネックレスなんかが並べられている。 バージルが視線を感じ下を見るとルイズが頬を染め上目遣いでみつめていた。 「ねぇ…見てもいい?」 「好きにしろ」 ルイズは顔をぱぁっと輝かせるとバージルの手を引き露天へと近づく。 すると商人が客だと判断たのか、声をかける。 「おや! いらっしゃい! 見てください貴族のお嬢さん! 珍しい石を取り揃えましたよ。『錬金』なんかで作られたまがい物じゃございません!」 並んだ宝石は貴族がつけるにしては少々派手すぎて、お世辞にも趣味がいいとはいえないものだった。 ルイズはペンダントを手に取る、貝殻を彫って作られた真っ白なペンダント、 周りには大きな宝石がたくさん埋め込まれている。 しかしよく見ると少々ちゃちな作りである、宝石もあまり上質なものは使っていない、安物の水晶だろう。 でもルイズはそのペンダントが気に入ってしまったようだ。 バージルが目ざとくそのペンダントに張られている値札を見る、そこには小さく4エキューと書かれていた。 スッとバージルがルイズの横に出る、ルイズが少し驚いたようにバージルを見る。 するとバージルは一つのペンダントを手に取った。 それは珊瑚色の細長い石を包み込むように絡んだ一対の金の羽、そしてその上にもう一対、 広げた金の羽があしらわれたペンダント。 ルイズが手に取ったペンダントと比べると幾分おとなしめな装飾だがその分上品で洗練されている。 値札を見ると1エキューと小さく書かれていた。それを素早く外すと店主に1エキューを指ではじき飛ばす。 「これをくれ、金はこれでいいな?」 「へぇ、まいど」 「くれてやる、それで我慢しろ」 「えっ…えっ…? あ…」 バージルは突然の出来事に呆然とするルイズにポイとペンダントを放り投げると 人込みをかき分けさっさと歩いていってしまった。 ルイズはしばし呆気にとられていたが、思わず頬が緩んだ。 "あの"バージルが自分のために買ってくれた、それがとてもうれしかった、 ペンダントを愛おしそうになでると、ウキウキ気分で首に巻いた。 「お似合いですよ」と商人が愛想を言った。 バージルに見てもらいたい、そう思い人ごみの中のバージルの背中を追いかける、今度は見失わない。 一方そのころ、歩き去るバージルに一部始終を見ていた背中のデルフが声をかける。 「相棒…お前意外とケチだな…」 「………あの空気だと支払わせられるのは俺だ。出費と時間は最小限に抑えるに限る」 バージルの本音は人ごみの喧騒にまぎれ、消えていった。 前ページ次ページ蒼い使い魔
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前ページ次ページZERO A EVIL ルイズは朝食を食べ終わった後、シエスタの淹れてくれた紅茶を飲みながら、のんびりした時間を過ごしていた。 今日はこれからどうするかと考えを巡らせていると、誰かが自分のことを見ているような感じがした。 だが、辺りを見回してみてもこちらを見ている人間はいなかった。 「どうしました?」 「視線を感じたんだけど気のせいだったみたい。それより、シエスタは今日も仕事なの?」 「今日は朝だけですね。この後は、特に予定はありませんよ」 「それなら街まで付き合ってくれない? ひ、一人で行ってもつまらないしね」 「ええ。私でよければお付き合いしますよ」 シエスタと一緒に出かけたいのが本音だったが、いつもの癖でつい言い訳をしてしまう。 この学院に来てから、誰かと出かける事など一切なかったし、虚無の曜日もほとんど一人で過ごしていた。 だが、今日一日は楽しく過ごす事ができそうだ。街に着いたら何をするかでルイズの頭はいっぱいだった。 そんなルイズの姿を見ている者がいた。キュルケの使い魔であるフレイムだ。 使い魔は主人と視聴覚が共有できる。フレイムが見ているルイズの様子はキュルケに筒抜けであった。 そのころキュルケは親友であるタバサの部屋でつまらなそうにしていた。 ルイズに対抗するために魔法の特訓までしていたのに、肝心のルイズはメイドと街に出かけるのを喜んでいる有様だ。 これでは何の為に魔法の特訓をしていたのかわからなかった。 「ごめんなさいね。あなたに付き合ってもらった特訓も無駄になりそうよ」 「別にいい」 タバサにとってはキュルケが心配で特訓に付き合っていたので、二人が戦わなくて済みそうなことにどこかほっとしていた。 表情には出さず、本を読みながら素っ気なく答えているので、はたから見れば無関心に見える。 だが、キュルケにはそんなタバサの心遣いがわかっていた。 「ありがと。あーあ、何だか退屈ね。ねえ、私達も街に出かけましょうか?」 「行かない」 「そう言うと思ったわ。じゃ、今日は久し振りに男の子達とお付き合いしようかしら」 タバサは、虚無の曜日にいつも本を読んで過ごしているのをキュルケは知っていたので、無理に誘う気はなかった。 最近はルイズのことばかり考えていたので、今日は蔑ろにしていた男の子達の相手でもしようとキュルケは思った。 ルイズとシエスタは街一番の大通りとされるブルドンネ街にやってきていた。 二人で通りの露店を眺めながら、他愛もない会話をする。たったそれだけの事がルイズにとってはとても嬉しく感じる。 今までずっと一人だった反動もあり、今日のルイズは少しはしゃぎすぎのようにも見えた。 シエスタはそんなルイズを見ながら嬉しそうにしていた。こんなに喜んでもらえるなら一緒に来たかいもあるというものだ。 これなら、ギーシュと決闘した時のように別人になってしまうことも、もうないだろうとシエスタは思っていた。 そんな二人が歩いていると、裏通りの方から人の怒鳴り声が聞こえてくる。 「もう我慢ならねえ!! やいデル公!! 今日こそてめえを貴族に頼んで溶かしてやるぜ!!」 「やれるもんならやってみろ!! 今更この世に未練なんてねえや!!」 どうやら二人の男が言い争いをしているようだ。 「えらく物騒な会話をしてますけど、何かあったんでしょうか?」 「どうせ傭兵同士の喧嘩でしょ。あの辺は確か武器屋があったはずだし、血の気の多い連中が集まりやすいんでしょ」 二人が話していると、裏通りの方から錆びた長剣を持った中年の男が現れた。いよいよ決闘でも始まるのかと二人は緊張したが、どうも様子がおかしい。 現れたのは中年の男一人だけだったし、その姿はとても屈強な傭兵には見えなかった。 そして一番の違和感は、男が自分の手にしている剣に向かって怒声を浴びせていることだった。 「言ったなデル公!! 今日の俺は本気だからな!!」 「ああ上等だ!! ちょうどそこに貴族の娘っ子がいるから頼んでみたらどうだ!!」 男が持っていたのは意思を持つ剣であるインテリジェンスソードのようだ。剣に言われてルイズ達に気付いた男がこっちに近づいてきた。 「これはこれは貴族の若奥様。お見苦しい所を見せてしまって、申し訳ありません」 「別にいいけど。一体何があったのよ?」 「へえ、実は……」 男から話を詳しく聞くと、ようやく事の真相が見えてきた。 まず、この中年の男は裏通りにある武器屋の主人で、インテリジェンスソードはその店に置かれている商品であるらしい。 今日もいつもどうり店を開けていると、ある貴族が剣を買いに武器屋までやってきた。 最近、土くれのフーケと呼ばれる盗賊がトリステインを荒らしているので、自分の家の使用人にも剣を持たせたいとのことだった。 そこで武器屋の主人は、ゲルマニアの高名な錬金魔術師が鍛えた剣を貴族に勧めることにした。 貴族はその剣を気にいったようだったが、ふと試し斬りをしたいと言い出す。 そして、店に乱雑に積まれていた剣の中から錆びた剣を取り出し、その剣に向かって斬りつけた。 だが貴族の持っていた剣は、錆びた剣を斬る事ができず、逆に斬りつけた所から折れ曲がってしまう。 唖然としている貴族に、試し斬りをした錆びた剣が言葉をかける。 「そんなちゃちな剣で俺を斬ろうなんて甘いんだよ。お前さん剣を見る目がないねえ、よく見ればインチキだってわかりそうなもんなのに」 その言葉を聞いて怒り出した貴族に、武器屋の主人は土下座して必死に謝った。 平民が貴族を騙そうとしたのだからただでは済まない。下手をすれば自分の命が消えてなくなってしまうのだ。 店にある剣を好きなだけ持っていっていいという条件で何とか許してもらえたが、店にとっては大損害であった。 その後、余計な事を喋った剣に激怒した武器屋の主人が、剣を溶かしてもらうために表通りに出たところでルイズ達に出会ったというわけだった。 「事情はわかったけど、貴族にそんな剣を売りつけようとしたあんたが悪いんじゃない」 「あ、あっしも知らなかったんですよ。知ってたらそんな恐れ多い事できませんぜ」 「け! よく言うぜ!」 「うるせえデル公! と、とにかくこの剣と鞘は若奥様に差し上げますんで、どうかどろどろに溶かしてやってくだせえ」 「え? ちょ、ちょっと!」 武器屋の主人はそう言うとインテリジェンスソードと鞘をルイズに渡し、裏通りの方に走り去ってしまった。 ルイズとシエスタはその姿を見ながら、呆然と立ちつくしていた。 「行ってしまいましたね」 「もう! こんな剣渡されても困るのに!」 「あの親父、都合が悪くなりそうだから逃げ出しやがった。さあ貴族の娘っ子、俺を溶かすなり何なり好きに……ん?」 すると、あれほどやかましく喋っていたインテリジェンスソードが急におとなしくなる。 異変を感じたルイズとシエスタが顔を見合わせていると、黙っていたインテリジェンスソードが再び喋りだした。 「こいつはおでれーた。まさかこんな娘っ子が“使い手”だなんて、時代も変わったもんだな」 「おとなしくなったと思ったら急に喋りだして、今度は一体どうしたのよ?」 「貴族の娘っ子、さっきの言葉は取り消しだ。この俺を使ってみちゃくれねえか?」 「いきなり何言い出すのよ。それに、私は剣なんて使ったことないわよ」 突然の提案に戸惑うルイズだが、インテリジェンスソードはそんなことはお構いなしに喋り続ける。 「いいじゃねえか、何事も経験だぜ。損はさせねえぞ」 「ルイズ様、溶かしてしまうのは可哀想ですよ」 「しょうがないわね。溶かしたりはしないけど、あんたを使ってあげるわけじゃないんだからね」 「そうこなくっちゃ! 俺の名前はデルフリンガーってんだ、これからよろしく頼むぜ相棒!」 「誰が相棒よ!」 その後、デルフリンガーを加えて再び大通りを歩き出す。 デルフリンガーはルイズとシエスタの会話にしょっちゅう絡んできたが、ルイズは悪い気はしなかった。 魔法学院ではシエスタしかまともに会話できる人物がいないルイズにとっては、デルフリンガーとの会話は新鮮なものであった。 最初はしぶしぶだったが、今はデルフリンガーを受け入れてよかったとルイズは思い始めていた。 そんな感じで、途中に一悶着はあったが、ルイズは久し振りに満足のいく虚無の曜日を過ごすことができたのである。 だが、その日の夜。 ルイズはいつものように魔法の練習をするため、シエスタと一緒に外に向かっていた。 デルフリンガーは部屋で留守番である。俺も連れて行けとうるさかったが、剣の練習をする気はないルイズは鞘に押し込んで黙らせた。 二人で外に出ると、前方に人影があることに気付く。それはキュルケと青い髪の少女だった。 青い髪の少女は、キュルケと一緒にいるのを何度か見かけたことがあった。 「奇遇ね、ルイズ。今日はそのメイドに一日中べったりと甘えられて、さぞ満足だったでしょうね」 「あ、甘えてなんかいないわ!」 キュルケはタバサと一緒にいつもの魔法の特訓を行うため外に出ていた。 特訓の必要はもうあまりなさそうだと考えていたが、タバサと魔法の特訓をするのは楽しかったので、もうしばらくは続けてもいいかと思っていた。 「その子と街に出かけられるとわかった時は大喜びだったじゃない」 「ど、どどどうしてそれを!?」 「さあ、どうしてかしらねー」 キュルケがフレイムを使って様子を探らせていたのをルイズは知る由もなかった。 「あ、あんただって、そこにいる子とこんな夜に二人っきりで何をしようとしてたのかしら」 「この子はタバサっていって、あたしの友達よ」 「どうだか。あんたのことだから、男だけじゃ満足できなくなって女の子にも手を出してるんじゃないの。いやらしいったらありゃしない」 このルイズの悪口はさすがのキュルケも頭にきたようだ。 「言ってくれるじゃない。何なら今から決着をつけましょうか?」 「望むところよ!」 「ル、ルイズ様!」 「シエスタは黙ってて、この女とはいつか決着をつけなくちゃいけないと思っていたのよ」 二人は杖を手に取ると、お互いに距離をとりながら向かい合う。 シエスタとタバサは黙って二人の姿を見守ることしかできない。 その時、少し離れた場所でその様子を見ている人物がいることに気付く者はいなかった。 ルイズとキュルケが同時に杖を相手に突きつけ、呪文を唱える。 キュルケはファイヤーボールの呪文を唱えたようだ。特訓の成果が出ているのか、いつもよりも大きな火球がルイズの方に向かっていく。 それに対し、ルイズもファイヤーボールの呪文を唱えたのだが、いつものように失敗し、キュルケの背後にある宝物庫の壁が爆発する。 キュルケの火球はルイズの足元に着弾し、ルイズは吹き飛ばされてしまう。 よろよろと立ち上がるルイズだが、もう戦うことはできそうになかった。 「ルイズ、もう降参しなさい。今のあなたじゃ、あたしには勝てないわよ」 ルイズを警戒していたキュルケは本気でファイヤーボールを使ったが、吹き飛ばされたルイズを見てやりすぎたと思っていた。 だから、早めにルイズに負けを認めるように促す。 「ま、まだよ。これからあんたに吠え面をかかせてあげるんだから、覚悟しなさい!」 プライドの高いルイズは負けを認めるわけにはいかなかったし、シエスタの前で無様な姿も見せられなかった。 だが、威勢がいいのは口だけで、満身創痍なのは誰が見ても明らかだった その時、ルイズの背後の地面に異変が起こる。突如、高さが30メイルにも及ぶ巨大な土ゴーレムが出現したのだ。 ゴーレムはルイズ達の方に向かってくる。キュルケは慌てて逃げ出すが、ルイズは先程のダメージもあり、すぐに動くことができなかった。 そうこうしている内に、ゴーレムはルイズのすぐ側まで迫ってきていた。 そして、無慈悲にもルイズの頭上にゴーレムの足が振り下ろされる。 「ルイズ様!」 だが、ルイズがゴーレムに踏み潰されることはなかった。ルイズを助けるために走ってきたシエスタがルイズを突き飛ばしたのだ。 ゴーレムの足が振り下ろされる。足の下に誰がいようとゴーレムには関係なかった。 突き飛ばされたルイズが辺りを見回してもシエスタの姿は見えない。 自分の代わりにシエスタがゴーレムに踏み潰されてしまったと結論づけるのにそう時間はかからなかった。 悲しみと怒り、憎しみなどの感情がごちゃまぜになってルイズを襲う。シエスタと過ごした日々を思い出し、ルイズの頬を涙が伝った。 目の前では、ゴーレムが宝物庫の壁を殴りつけている。 (よくも、よくもシエスタを!! 仇は必ず取ってみせる!!) ギーシュと決闘した時と同じように、ルイズの左手のルーンが光を放っていた。 ルイズはシエスタがゴーレムに踏み潰されたと思っていたが、実はそうではなかった。 踏み潰される直前に、タバサの使い魔である風竜がシエスタを助けたのだ。 風竜にはタバサの他にキュルケも乗っており、今は少し離れた上空でゴーレムの様子を伺っていた。 「ミス・タバサ、ルイズ様も助けてください!お願いします!」 「それはだめ。今近づくと相手を刺激することになる」 「そう。ルイズの安全を考えるなら、今は様子を見るのが一番なのよ」 ゴーレムは宝物庫の壁に穴を開け終わったようだ。ゴーレムの肩から黒いローブ姿のメイジが中に入っていく。 そして、何やら大きな箱をレビテーションで浮かせながら運び出していた。 「タバサ、これからどうするの? このまま黙って見てるわけにもいかないでしょ」 「ばれないように追跡。油断している時に箱を奪い返す」 「そうね。それなら、ルイズも安全だし」 二人が今後の行動を考えていると、急にシエスタが叫びだした。 「ルイズ様!!」 「急にどうしたのよ!」 「いけない」 ルイズの方に目を向けると、ゴーレムに向かって走り出しているのがわかった。タバサはこちらに注意を向かせるために風竜をゴーレムに近づける。 だが、ルイズの走るスピードは早く、もうゴーレムの側まで近づいていた。 その時、三人は信じられない光景を目にする。 ルイズがゴーレムに飛び乗り、上にいるメイジの所まで一気に駆け上がったのだ。そして、突如現れたルイズに驚いている黒いローブのメイジに向かって飛び蹴りを放つ。 不意を突かれた黒いローブのメイジは、それを避けられずに顔の辺りを蹴られていた。その際、レビテーションが切れたのか、浮かせていた大きな箱が地面に落下していく。 ルイズは畳み掛けるように攻撃しようとするが、黒いローブのメイジの方もすぐさまゴーレムで反撃に移る。 ゴーレムがルイズを捕まえるために腕を伸ばすが、素早い動きのせいで中々捕まえることができない。 ルイズの方もゴーレムの腕に邪魔されて、黒いローブのメイジに近づけないようだった。 風竜の上でその様子を見ていたキュルケは唖然としていた。表情には出さないが、タバサも驚いているようだった。 武術の達人のような素早い動きを見せるルイズは、さっきまでとは別人のように二人には見えた。 シエスタは、ルイズが再び別人ようになってしまったことに不安を覚えていた。 何か取り返しがつかないことが起こってしまう前に、一刻も早くルイズの側に行かなければならないと思った。 「お願いしますミス・タバサ! 私をルイズ様の所に連れて行ってください!」 ゴーレムの上で果敢に攻撃を仕掛けるルイズだが、最初の飛び蹴り以外の攻撃が当たることはなかった。 黒いローブのメイジは、ゴーレムでルイズの攻撃を防いでいる。まずはこのゴーレムをなんとかしなければならなかった。 その時、ゴーレムを破壊する方法を考えているルイズの目にある物が写った。 地面に落下した際に壊れた箱から飛び出し、無造作に転がっている物体。細長い筒状の形をしており、六本の銃身とレバーが付いている。 胴体からは無数の弾丸がまるで蛇のように伸びていた。 それを見た瞬間、ルイズは素早くゴーレムを駆け下りる。 地面に横たわっている胴体を起こし左手で支えると、銃身をゴーレムに向け右手でレバーを掴む。 使い方はわかっている。当然だ、これはかつて自分が使っていた最強の武器なのだから。 「シエスタをかわいがってくれたお礼はたっぷりしてあげるわ。受け取りなさい……このガトリング銃の弾をね!!」 ルイズがレバーを回転させると、ガトリング銃から弾丸が勢いよく発射された。 発射された無数の弾丸を浴びているゴーレムは、見る見るうちに穴だらけになっていく。 黒いローブのメイジはゴーレムを修復しようとするが、絶え間なく浴びせられる弾丸のせいでとても修復が追いつかない。 そして、銃身が徐々に上に向けられていることに気付く。自分が狙われていることを悟った黒いローブのメイジはフライで逃走を図った。 たとえこの場は逃げられても、飛び蹴りが当たった時に顔をはっきりと見ている。 まさか学院長の秘書が盗賊とは予想外だったが、例え相手が誰であろうとシエスタを殺した報いは受けさせなければならない。 シエスタの仇を討つ機会はまだあるが、このままあっさりと逃がすわけにはいかなかった。 ルイズが黒いローブのメイジに狙いを付けようとした時、一匹の風竜がこちらに近づいてくるのが見えた。 「ルイズ様!! 駄目です!!」 その声を聞いた瞬間、ルイズの動きが止まる。声のした方に恐る恐る目を向けると、風竜の上にいるシエスタの姿を発見した。 左手のルーンは急速に光を失い、ルイズの手を離れたガトリング銃は地面に落下する。 ルイズのすぐ近くに着地した風竜からシエスタが勢い良く飛び降りる。そして、唖然としているルイズを抱きしめた。 「盗賊は逃げました。だから、ルイズ様が戦う必要はもうないんです」 そう優しく囁きかけてくれる声や抱きしめてくれる感触が、シエスタが生きていることをルイズに実感させる。 それに気付いた時、大粒の涙がルイズの頬を流れていく。安堵感と嬉しさのあまり、感情の歯止めが利かなくなっていた。 キュルケとタバサはそんな二人の様子を静かに見守っていた。 前ページ次ページZERO A EVIL
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前ページ次ページ虚無の魔術師と黒蟻の使い魔 「ミスタ・コルベール! 召喚のやり直しをさせてください!」 「駄目です。ミス・ヴァリエール。使い魔召喚の儀式は神聖なものです。それがどんな『もの』であろうと、呼び出してしまった以上は契約しなくてはなりません」 春の使い魔召喚の儀式。 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン。ド・ラ・ヴァリエールは自身の召喚の結果を不服として、担当教諭のコルベールにやり直しを要求するが、コルベールはというと「伝統・神聖」の一点張りで取り付く島もない。 必死に食い下がるルイズとそれを諭すコルベールのやり取りに、呼び出したばかりの使い魔に夢中だったほかの生徒たちもにわかに注目しだした。 ルイズとコルベールを囲むように人だかりができ始めていた。 「なぁ、マリコルヌ。何の騒ぎだい? またゼロのルイズが何かやらかしたのか?」 ルイズたちを囲む輪の中にいたマリコルヌ・ド・グランプレに、級友のギーシュ・ド・グラモンが声をかける。 「あぁ、ギーシュ。傑作だ。さすがはゼロのルイズだぜ。実にふさわしい使い魔を召喚したもんだよ」 そういって笑い出すマリコルヌに、ギーシュは怪訝な顔であたりを見渡す。 「なぁ、マリコルヌ。そのゼロのルイズが呼び出した使い魔てのはどこにいるんだ?」 もう一度あたりを見渡してみるが、どこにもそれらしきものはいない。 「ひょっとして、何も呼び出せなかったから使い魔も『ゼロ』ってオチかい? それはちょっと引っ掛け問題としてもフェアじゃないと思うな。『召喚した』て言ったじゃないか」 「いやいや、ちゃんと呼び出してるんだよ。ギーシュ。あそこをよく見てみろよ」 笑いをこらえながらマリコルヌが指差す。 しかし、指し示された場所を見ても、草原の中にぽっかりと直径1メートルほどの円状に草の禿げた、むき出しになった地面があるだけだ。 草が禿げているのはルイズの爆発による影響だろう。 コルベールが禿げているのは何による影響だろう? 「なぁ、マリコルヌ。僕の目が悪くなったのかな? やっぱり何もいないように見えるんだが…」 「よく見てみろって、草の禿げた真ん中だよ。なんと言っても相手はあのゼロだからね。常識的な使い魔を探しても見つけられないさ」 「真ん中ねぇ…」 もう一度目を凝らして見る。 「真ん中には…石ころがあるな」「そうだね、ギーシュ」 もう一度見る。 「手のひらサイズってところだな」「そんなとこだな、ギーシュ」 さらに見る。 「板状だな」「板状さ、ギーシュ」 さらにもう一度見る。 「ほんのり半透明だな」「半透明さ、ギーシュ」 しつこく見る。 「ひょっとして、アレかい?」「アレさ! ギーシュ!」 二人は顔を見合わせると、 「ギャハハハハハハ!」 と馬鹿笑いした。 ギーシュとマリコルヌのやり取りを、ルイズは憮然とした表情で見ていた。 「ミスタ・コルベール。あの二人が私を侮辱しました。ちょっとレビテーションかけてもいいですか?」 完全に据わった目で言うルイズ。 「だ、駄目です! ミス・ヴァリエール。クラスメイトとは仲良くしなくてはいけません!」 「なら、先生があの二人をもやし祭りにして下さい」 「学院の教育方針として、体罰は禁じられてますので…」 「なら注意するなりなんなりして下さい!」 ルイズの剣幕に、コルベールは「ひっ」と小さく悲鳴を上げてギーシュたちに注意に向かう。 「二人とも、貴族たるもの『ぎゃはは』などとはしたなく笑うものではありません!」 「そこかよ…」 注意を終えて帰ってくるコルベール。 ジト目で向かえるルイズ。 「先生。私、将来子供ができたら留学させようと思います…」 「それはいいですね。若いうちから見聞を広げるのはいいことです。私もいつか他の国で教鞭を振るって見たいものです」 「そうしてくださると留学させないで済むので助かります」 「さぁ! もう、いい加減覚悟を決めてブチュッとやっちゃいなさい! ミス・ヴァリエール!」 コルベールが会話は終わりだといわんばかりに高らかに言う。 ルイズもあきらめて、ぶつくさ言いながらも、召喚された石のそばに歩いていく。 「なによ! いつも新しい技術がどうとか、『火は破壊だけのものだなんて古い考えにとらわれてはいけない!』だとか言ってるくせに、 こういうときは伝統伝統って、きっと自分の中でそういった矛盾を抱えてるから、知らないうちにストレスになって禿げるのよ!」 「何か言いましたか…ミス・ヴァリエール…」 「何も言ってませんっ!!」 ルイズは大きくため息をつくと、自分の足元にある『それ』を見る。 手のひらサイズで板状の、少し透明な石ころ。 悔しいがギーシュやマリコルヌの言う通りではある。 せめて土にまみれていたりすれば、爆発のせいで地中の石がむき出しになっただけだとか主張して、もう一度召喚させてもらうという策もあるのだが…。 綺麗な円形に禿げた草原。爆発で抉れた地面の中心にポツリと置かれた石ころ。 さすがにこれを地面から出てきたものだと主張するのは無理があるか…。 「はぁ~~~~…」 もう一度、露骨に大きくため息をつく。 そして、しゃがみ込んで石を見る。 どこからどう見ても石だ。 「ミスタ・コルベール! 石です!」 「見ればわかります」 「石と契約するなんて聞いたことがありません! それに石には意思がないからこの石にはそもそも私と契約する意思があるとは言えない訳で、契約する意思のないものに無理やり契約をさせるのは非道と思います!」 「確かに石と契約するなんて聞いたこともありませんが、そもそも石を召喚するなんてことも聞いたことありません。とにかく使い魔は、サモンサーヴァントによって召喚されたものと契約すると決まっています。石を召喚してしまった以上、石と契約するしかないでしょう。 それに、石に意志がないなんてどうして言えるのです? 意志を表現する手段がないだけで意思はあるかもしれませんよ?そして、サモン・サーヴァントに応じた時点で使い魔になる意志はある、と私は考えます。 そうでないと、ドラゴンのような本来凶暴な生物が、いきなり呼び出されてコントラクト・サーヴァントに素直に応じるはずがありませんからね」 ルイズのよくわからない理屈は、コルベールのわかるようなわからないような屁理屈によって潰されてしまった。 (考えろ…考えるのよ…ルイズ! 姫様と遊んでいたときに、厨房にあったイチゴを二人で全部食べて従者を怒らせてしまったときも、逆切れと誤魔化しで何とかしたじゃない!) ルイズは最後の足掻きをしようと知恵をめぐらすが、 「まぁ、あなたにも言いたい事はいろいろあるでしょうが、一つだけ理解していただきたい。私があなたにその石との契約を勧めるのはあなたのためを思ってのことということです。 召喚が失敗してしまったのなら召喚のやり直しはできますが、召喚してしまった以上再度召喚することは認められません。それを踏まえたうえで契約しないと言うのであれば、今回の召喚の儀は失敗とせざるを得ません。 召喚の儀が失敗となれば進級を認めるわけにもいきません。石ころを召喚してしまった時点で失敗・留年としてしまうこともできますが、それはしません。つまり、あなたに契約か留年かの選択の余地を差し上げようと私は言っているのですよ」 それはコルベールの言葉によって結実することなく霧散してしまった。 (留年…そんなことになったら…) ルイズはもし自分が留年ということになった場合、家族たちがどう反応するかを考えてみる。 まず浮かんだのは、長姉であるエレオノールの神経質そうな顔だった。 ルイズの留年を知らされたエレオノールは、 「使い魔と契約できないし、魔法もろくに使えるようにならないで留年。そういうことでいいわね、チビルイズ」 と言って、ルイズの頬を抓るだろう。 「ご、ごめんなひゃい。お姉ひゃま」 いつものようにルイズが謝ると、エレオノールは言うだろう。 「何を謝っているのかしら? このおチビ」 「え、あの…魔法が…学院を…その…」 「何度言えばわかるのかしら? 貴族は魔法をもってその精神とするのよ。それで、チビルイズは謝れば立派な貴族になれるのかしら?」 「えと、あの…その」 ルイズはそう言われて情けなく口ごもるだけしかできない自分がありありと想像できていやになってくる。 「過ぎたことはもういいわ。ねぇ、あなたはどうすれば立派な貴族になれるのかを聞きたいの。来年の春には使い魔と契約できるのかしら? もう一年学院に通えば進歩するのかしら? そもそもチビルイズは一年間学院にいてどれだけ成長できたのかしら?」 この後もネチネチとエレオノールの説教は続くだろう。途中「学院に一年長くとどまると言うことは、結婚が一年遅れると言うことでもあるのよ」などと自分で言っておいて、 「誰が嫁き遅れよ!」なんて言ってルイズにあたるのだろう。 いやだ、いや過ぎる…。 そもそも留年と言うことになって一番落ち込んでるのはルイズなのだ。 そんなときはやさしく慰めてもらいたい。 「やさしく」と言うことで次に思いついたのが、次姉のカトレアの顔だった。 (ちい姉さまならやさしく慰めてくれるに違いないわ) でも駄目だと、ルイズは頭の中で打ち消す。やさしさと言うのは時に厳しさよりも残酷なことがあるのだ。 きっとカトレアはルイズの頭を胸に抱き寄せて優しく慰めてくれるだろう。そしてこう言うに違いない。 「ねぇルイズ。貴族にとって魔法がすべてと言うわけじゃないわ。私だって家の中に閉じこもってばかりで魔法なんてほとんど使う機会がないわ。 でも動物たちもいるし、毎日とても楽しいの。ルイズもお家にいてくれたらもっと楽しくなると思うわ。 お家でも魔法の練習はできるし、ふとした拍子に突然使えるようになるかもしれないわよ」 あぁ、想像出来てしまう。 きっとカトレアは純粋なやさしさから、何の嫌味もなく、本心でルイズを慰めてくれるのだろう。 魔法の使えないルイズを受け入れてくれるだろう。 だがそのやさしさを受け入れることは、魔法を使えない自分を受け入れてしまうことと同義なのだ。 それは駄目だ。エレオノールの説教よりもある意味でダメージは大きい。 (それならお父様は?) 父親も厳格な人物できっとルイズをきっときつく叱るだろう。 だが妻には頭が上がらなかったりと、少し甘い部分もあるのだ。きっと一通り叱った後こう言うだろう。 「まぁ、留年は残念だが、頑張った結果だろう。駄目だったならまた一年頑張ってみればいいさ」 と、最後にはニコニコ笑ってルイズの頭の上に大きな手を乗せ慰めてくれる、ような気がする。 そして笑いながらこう言うだろう。 「しかし、卒業がいつになるかわからないからな。今のうちから縁談を進めておかないとエレオノールのように…ゲフンゲフン。どうもワルド子爵も軍務で忙しいようだし、 スーシェ男爵もなかなか悪くない男だと思うが、会ってみるだけどうだ?」 そこからはなし崩し的に次々と縁談を持ち込んできて、いつの間にやら結婚している自分が想像できる。 二十七になっていまだに結婚していないエレオノールのこともあり、その手の話には過敏なのだ。 駄目だ。ダメージは少ないだろうがとても納得できるものではない。 ルイズの妄想はついに最悪の結末にたどり着く。 母親が、烈風のカリンがじきじきに説教するのだ。 その時母は、なぜか甲冑に身を包み、マンティコアにまたがっている。 そして巨大な竜巻を作りながら言い放つのだ。 「ルイズ。構えなさい」 駄目だ! 駄目だ! もう説教ですらない。 「ミス・ヴァリエール? いい加減現実に戻ってください」 コルベールの声にルイズはハッと我に返る。 「先生! 私契約します! させて下さい!」 ルイズには、家族に留年を報告するということよりも最悪の事態というものが存在しないように思えていた。 (もうこの際、石でいいじゃない! 石ってことは土系統よ! 系統もわかってこれで晴れてゼロ脱出に違いないわ!) ネガティブも行き着くところまで行けば、逆にどんな些細なことでもポジティブになれるらしい。 「よい返事です。では、早いとこ契約してください」 コルベールに促され、ルイズは再びしゃがみ込み、石を拾い上げようとする。 「えっ…」 ルイズの指が石に触れた瞬間――ルイズの目の前に突然一人の少年が現れた。少年はしゃがみ込み地面に目を向けている。 (何を見てるのかしら? じゃなくて! なに? どこから出てきたの?) 突然現れた少年に驚き、思わずあたりを見渡すルイズだが、そこで異変がこの少年だけでないことに気付く。 ルイズの目に映るのは魔法学院の演習場ではなかった。見たことのない町並みがルイズの目の前にひろがっていたのだ。 ここはどこなのか。そしてなぜ自分はここにいるのかという驚きが沸いてくるが、その驚きを感じる前に更なる驚きがルイズを襲う。 ルイズはそこにいなかった。 どことも知れぬ町並みを見ているし、音も聞こえる。どこかから空腹を誘うようなにおいも感じる。 だが、ルイズの体はそこにはなく、まるで感覚だけがその場の空気に溶け込んでいるかのようだった。 「なっ? えっ!?」 ルイズは驚いて、思わず石から手を離してしまう。 すると、目の前に広がる景色は魔法学院の演習場に戻っていた。 先程まで見ていた景色はかけらもない。 「ミスタ・コルベール! この石、なんか変です!」 「そうですか。ただの石じゃなくてよかったですね。では、授業時間も無限ではありませんので早くコントラクト・サーヴァントをして下さい」 ルイズが、今体験したことをコルベールに説明しようとするが、コルベールはまたルイズがなんとかサモン・サーヴァントのやり直しをしようとあがいているのだと判断し、まるで取り合わない。 仕方なくルイズはもう一度石に触れてみる。 すると、やはりルイズの五感はどこか知らない場所に飛ばされる。 それは予想されていたことなので、先程のような驚きはない。思わず石から手を離してしまうこともない。 ルイズは、今度は注意深く辺りを見回してみる。 やはりまるで見たことのない景色。なぜか馬がついてない馬車が走っていたりと、ルイズの理解の及ばないような物もある。 そしてルイズが空を見上げると、今まで見たどんなものよりもルイズの常識と相容れないものがそこにあった。 そこには一つの月が燦然と輝いていた。 (な、な、なんで月が一つしかないのよ~っ!?) ルイズの、ハルケギニアの常識では月は二つあるのが当たり前であり、二つの月が重なるスヴェルの月夜でも小さい月の方が前に出るので、完全に一つしか月が見えないなんてことはありえない。 (一体、ここはどこなの? そもそもあの石は何なのよ!?) ルイズがそう思った瞬間だった。 突然、目の前の景色が変わる。石を離したときのように、魔法学院に戻ったわけではない。ルイズの知らない、また別の景色が展開される。 次から次へと景色が、場面が変わっていく。 場面が移り変わるごとに、少しずつ情報が蓄積されていく。 先程ルイズが抱いた疑問。その答えを探すかのように、その答えにかかわる場面を次々と体験していく。 「…エール!? ミス・ヴァリエール!? どうしたのです!?」 ルイズが石から手を離すと、目の前には心配そうにルイズの顔を覗き込むコルベールがいた。 「………大丈夫です。契約します」 ルイズは心ここにあらずといった様子でつぶやくとハンカチを取り出し、ハンカチ越しに石を持った。 ルイズは、目の前の石が一体何なのかすでに理解していた。これと契約することがどういう結果をもたらすのかはまるでわからないが、普通の平凡な使い魔と契約するよりは良いかもしれないと思い始めていた。 「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン、この者に祝福を与え、我の使い魔となせ…」 呟く様に呪文を唱えると、ルイズはそっと石に口づけをする。 コルベールとルイズ以外の生徒たちが、フライの魔法を使い校舎へと戻っていく。 フライの魔法だけでなく、すべての魔法が使えないルイズには、ゆっくりと己の足で歩いていくしかない。 ルイズは立ち止まると、ハンカチに包まれた石を改めて見る。 それはルイズたちが住む世界とは別の世界で『本』と呼ばれる物。人が死に、その魂が地中で化石化したものである。 『本』に触れると、その魂の持ち主の人生のすべてを読み取り、追体験することができる。 ルイズが『本』に触れることで見た景色は、人が死ねば『本』になるのが当たり前の世界に生きた、ある男の人生だった。 ルイズの指が『本』に軽く触れる。そしてすぐ離す。 この『本』の魂の持ち主。その姿を確認しただけだ。 「…よろしくね。モッカニア」 その『本』に記された魂の持ち主。その名をモッカニア=フルールという。 前ページ次ページ虚無の魔術師と黒蟻の使い魔
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前ページ次ページZero ed una bambola ゼロと人形 「ちょっと!本当なの?」 「本当よ、フレイムがそう言ってたもの」 「シルフィードも。後でお仕置き」 「信じられない、まさかロビンも一緒だなんて・・・」 夜もだいぶ更けた頃、四人の少女がモット伯の屋敷の近くまで来ていた。 「どこよ!どこにいんのよ!」 「落ち着きなさいルイズ。フレイム?どこにいるの?」 キュルケがフレイムを呼ぶとモコモコと地面が膨れあがり、一匹のモグラが顔をだす。 「このジャイアントモールって確かギーシュの使い魔じゃなかったかしら?」 モンモランシーがそう呟く。 モグモグとモグラは鳴きながら穴から這い出る。するとその穴からフレイムが申し訳なさそうに顔を覗かせる。 「フレイム!何してるの!」 きゅるきゅる~ 申し訳ないとでも言うように鳴きながら穴からのそのそと出てくる。 空からはシルフィードが舞い降りる。地面に降りた瞬間、タバサに杖で頭を叩かれ、きゅい~!と一声鳴いていた。 モンモランシーも自らの使い魔を手のひらに乗せる。 「ねえ!」 「ちょっと待ちなさいよ」 三人が使い魔と意識を交わしているのをルイズは苛立ちながら見守る。 「まだ!」 「あせらないの! いいルイズ? アンジェリカはモット伯の屋敷にもう入ってしまったそうよ。ロビンがそういってるわ」 それを聞いたルイズは屋敷に向かって走り出す。 「ちょっとルイズ待ちなさいよ!話はまだ終わってないわ!」 「あたしたちも行きましょう。ほらタバサも行くわよ」 三人はルイズを追いかける。ルイズは屋敷の庭の真ん中で立ち止まっていた。 「ルイズどうしたの?」 「キュルケ? あれ見てよ」 そういってルイズが指差す先には血を流して倒れている犬を指差す。 「何これ? 頭が・・・割れているの?」 キュルケはしゃがみこんで犬を調べる。 「ごめん、ちょっと気分が・・・」 モンモランシーは顔を青くして物陰に足を向ける。だがそんな彼女の服を掴み、止める者がいた。 「えーと、タバサ?何か用かしら」 「ダメ、行っちゃダメ」 「何かあっちにあるのかしら?」 「見てもダメ!」 声を荒げるタバサを無視してモンモランシーは視線をタバサが見てはいけないという方角に向ける。 「ふぇ?」 思わずペタンと地面に座り込むモンモランシー。 「どうしたのよ?」 キュルケが近づいてくる。ルイズは「何遊んでるのよ!」と怒鳴っている。 「あ、あれ・・・」 モンモランシーの視線の先には倒れている男があった。 「し、しし死体!?」 「殺されてる」 驚きを隠せないキュルケだが、タバサは動揺はしていないようだ。 「死体って何!ちゃんと分かるように説明して!」 「ルイズさっきからうるさいわ!あたしにも分かるわけないじゃない!」 「ちょっと二人とも静かにしてくれない?さっきから何か聞こえるんだけど」 大きな声をあげるルイズとキュルケを諌めながらモンモランシーが注意を促す。 「音?何の音よ」 「聞こえない?ほら、すすり泣くような・・・幽霊だったりして」 モンモランシーの言葉にタバサがビクンと反応した。 「幽霊なんていない。そんなの迷信」 内心ガタガタ震えながらもきっぱりと言い切るタバサ。 「でも聞こえない?ほら」 「あ、本当ね。何か女の人が泣くような声がするわね。でもこの声って・・・」 「どうしたのルイズ?」 「え?この声なんだけどね、誰かの声に似てる気がするんだけど」 少女たちは耳を屋敷へと傾ける。確かに女の、少女の咽び泣く声が聞こえるではないか。 タバサは耳を塞ぎ「聞こえない聞こえない聞こえない」と繰り返し呟いていた。 「ね、ねぇモンモランシー?あたし声がどんどん近づいてるように思うんだけど?」 「き、奇遇ねキュルケ。私にもそう聞こえるわ」 気のせいではない。確かに少女の鳴き声が少しずつ、確実に近づいている。 「玄関?正面玄関へ近づいているわ!」 そういうとルイズは正面玄関へ走り出した。 「ちょっとルイズ!」 「アンジェが危ないかもしれないじゃない!」 ルイズはキュルケの静止を振り切って玄関の正面に仁王立ちとなり、声の主を待ち受ける。 そしてゆっくりと扉が開かれる。そして扉から現れたのは・・・。 「あ!ルイズさん!」 そう、アンジェリカであった。 「アンジェな・・・の?」 ルイズは己の目を疑った。アンジェリカの服装、血に濡れているではないか。そしてその可愛らしく人形じみた笑顔を浮かべる頬は赤黒く汚れていた。 「アンジェ、怪我はしてない?それよりも・・・」 「怪我ですか? そんなのしていませんよ」 「そ、そう。ねぇアンジェ? アンジェが左手に持ってるのは誰なの?」 そう、先ほどのすすり泣く声の主はアンジェリカが左手に連れていた少女の声だった。破れたメイド服、見覚えのある髪の色。 「そうです。ルイズさん聞いてください!言いつけ通りシエスタちゃん助けましたよ!」 アンジェリカはうれしそうに左手に掴んだ「それ」をルイズの前に引きずり出す。 「ひぎゃぁ!痛い、痛いよぉ。ごめんなさい、もうやめてください。何でも、何でもしますからぁ。うっうっぅ」 右腕があらぬ方向に曲がり、涙と赤黒い何かで汚れた顔を苦痛に歪める。破れたメイド服は汚れきっており、曝け出した素肌は傷や汚れにまみれ、かつての面影はほんのわずかしか残っていない。 ほんの一日も経っていないのに何があったのかルイズには想像ができない。 シエスタに声もかけることもできずただそこに立ち尽くすしかなかった。 「ルイズさんどうかしましたか?」 アンジェリカが問いかける。シエスタはルイズの足元で咽び泣いていた。 「ちょっとルイズ何があったのよ?ってアンジェちゃん!それに・・・その子は?」 キュルケが声をかける。ようやくルイズは我に返る。 「シエスタ?シエスタよね。ど、どうしたのよ!」 ルイズは屈み込みシエスタに話しかけるが、泣いてばかりで埒が明かない。 「腕が・・・ひどいわね。モンモランシー?」 「何キュルケ?」 「あなた治療の魔法使えないの?」 「少しぐらいならできるけど……」 「じゃあお願いするわ」 「添え木もしないといけないわね」 「ええと、これをこうすればよかったのかしら?」 少女たちはたどたどしい手付きでシエスタの治療を始める。 「ルイズさん聞いてください! 私、上手に殺せましたよ」 「え?」 いきなり何を言い出すのだろう? 満面の笑みを浮かべるアンジェリカにルイズはあっけにとられる。 「あ、信じていませんね。そうだ! ルイズさん来て下さい!」 そういってルイズの手を引っ張り出す。 「ちょ、ちょっと。アンジェ、痛い」 強く引っ張られるルイズ、抵抗も侭ならず、アンジェリカの為すがままにされる。 「ねぇ! ルイズどこに行くのよ!」 キュルケが呼ぶもアンジェリカとルイズはそのまま建物の影に隠れていった。 「ああもう! 聞こえてないのかしら? あたし、ちょっとルイズたちを追いかけるわ」 後はお願いねと言い残し、キュルケも走り去っていく。 「わたしも行く。シルフィード」 きゅいきゅい! タバサがシルフィードを呼ぶ。 「乗せて先に学院に戻ってて」 「え?」 「じゃあ」 「ちょ、待ちなさいよ! 何でわたしがこんな事しなくちゃいけないのよ!」 モンモランシーは一人取り残される。結局文句を言いながらもシエスタをシルフィードに乗せ、一足早く学院に、戻るのであった。 Episodio 13 E il successo di strategia? 作戦成功? 前ページ次ページZero ed una bambola ゼロと人形
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前ページ次ページGIFT Gift[ギフト] 英語……贈り物の意味。 独語……毒の意味。 ある文学者は言った。 〝人間は生まれながらにして孤独なのだ〟 おそらくこの日は自分という人間にとって人生最悪の日だろう。 そう、ルイズは思った。 より正確に、そして客観的な視点に立つならば、これからの人生がより最悪なものになる、そのスタート地点。 自分の意思に関わりなく、その最低にして最悪な場所に、ルイズは立っている。 運命によって、否応なしに立たされているのだ。 まわりがやかましい。 ざわざわと、非常に耳ざわりだ。 しかし、みんなが何を言っているのかはわからない。 そもそも、こいつらは何故へらへら笑っているのだろう。 耳はいつもと変わらず、極めて正常に機能しているけれども、心が理解することを拒否している。 でも、そんな誤魔化しはいつまでも通用しない。 ああ、そうだ。 わかっている。理解しているわよ! ルイズは震える体を押さえこみながら、召喚したばかりの『使い魔』を凝視した。 ドラゴンやグリフィンではない。 ネズミでも、虫でもない。 そして、もちろん人間なんかではなかった。 それどころか、生き物ですらない。 簡単に説明するなら、それはあちこち焼け焦げた真っ黒なボロクズだった。 見たところハンカチ一枚分もない、小さな布切れのようなもの。 何かの服か、それともマントの一部だったのだろうか? それはわからないが、何であろうとこの使い魔を表わす言葉は、たった一言ですむ。 ゴミだ。 これが、自分の使い魔か。 ルイズはショックで呼吸することさえ忘れかけた。 ゼロのルイズ。 魔法の使えない自分に冠せられた嘲笑の言葉。 貴族に相応しからぬ者への侮蔑。 メイジではないメイジ。 そんな紛い物が、呼び出した使い魔は――ゴミクズ。 吐き気を伴った恐怖が、ルイズの脳髄を走り抜けた。 今日からはゼロではなく、マイナス。 ゴミのルイズか。 いやだ! ルイズは必死になって現状を否定した。 「ミスタ・コルベール! もう一度、召喚をさせてください!」 げらげらと笑い続ける周囲にかまわず、ルイズは教師のコルベールに食ってかかった。 こんなことがあっていいわけがない。こんなひどいことが認められていいわけがない。 けれど、現実はどこまでも非情で無慈悲だった。 「それはダメだ。ミス・ヴァリエール」 いくらかの時間をおいた後、頭の寂しい教師は厳格な声でそう言った。 「ルールはルールだ」 「使い魔召喚の儀式は神聖なものだ」 「好き嫌いでどうこうできる問題ではない」 そんな埒もない建前を並べ立てた後、 「召喚をした以上、それが君の使い魔だ」 草むらに転がるちっぽけなボロクズを指して、禿げ頭の教師はそう宣言した。 その途端、どっと周囲が沸いた。 「さすがはゼロのルイズね!」 「ゴミクズを使い魔にしたメイジなんて、史上初だ! 最大の快挙だよ!」 「まあ、ゼロにはぴったりの使い魔だよな」 「こりゃ他の誰にも真似はできないぜ!」 囃し立てる声に、いつもならば噛みついたであろうルイズも、この時は微動だにできなかった。 うつむき、屈辱に震えながら、黒いボロクズを拾い上げるのが精一杯だった。 手に取って見ると、屍を焼くような嫌な臭いがした。 その横で早くコントラクト・サーヴァントをしろ、とコルベールがうながす。 逡巡を繰り返した後、ルイズは完璧に暗記した呪文を唱え、ボロクズに口づけをした。 やがて、襤褸切れの黒い表面に、使い魔のルーンが浮かび上がる。 それを見つめるうちに、いつしかルイズの震えは止まっていた。 授業が次の段階に移行し、皆が『フライ』の呪文で飛び立って行く中、ルイズはボロクズを手に、のろのろと歩き出していた。 嘲り、罵倒するクラスメートの声に、ルイズはもはや何の反応も示すことはなかった。 少女の顔は死人のように真っ白になり、目はまるで廃人のようになっていた。 夜、二つの月が地上を照らす頃。 ルイズは生気の欠片も存在しない表情でベッドに身を投げ出していた。 枕のそばに、召喚した使い魔が、もの言わぬボロクズが投げ出されている。 これはきっと悪い夢だ。 ルイズはベッドに顔を埋めながら、自らに言い聞かせ続けていた。 きっと自分はまだベッドの中で眠りについているに違いない。 そして、使い魔召喚の儀式の時にはきっと、すごいとまではいかなくても、ちゃんとした使い魔を召喚できるに違いないのだ。 きっと、そうだ。 そうでなくては、ならない。 もしも、そうでないのなら、あまりにも理不尽ではないか。 どうして、自分がこんな屈辱を受けねばならないのか。 ルイズはいまや、自分が声もなく泣いていることさえ理解できてはいなかった。 いつしか、泣き疲れたルイズの意識は、現実と頭の中の境が曖昧になっていく。 部屋の主がかすかな寝息をたて始めた頃、投げ出されたボロクズがせわしなく蠢き始めたが、それを見る者はいなかった。 それはいつしか布切れからコールタールにも似たスライム状へと変化を遂げ、驚くようなスピードでベッドの上をすべり出す。 動くごとに、それに刻まれた使い魔のルーンがせわしなく輝く。 やがて、黒いスライムはルイズに接近すると下着の間からするりと侵入し、絹のような少女の肌を移動していった。 その奇妙な使い魔は、まるで安らげる寝所でも見つけたかのように、ルイズの背中に張りついた。 ぴくりとルイズの顔が動いたが、その寝息が乱れることはなかった。 夢の中で、ルイズは小さな部屋にいた。 それは見たことがあるようで、ないような部屋。 自分の暮らしている女子寮のようでもあり、実家にある自分の部屋のようでもある。 また小さい頃に訪ねたどこかのお屋敷のようでもあった。 その部屋の中に、ルイズの他に誰かがいる。 形はよくわからない。 そこにいるのはわかっているのだが、うまく姿が見えないのだ。 ただ、そいつの考えていることは何となくわかる。 そいつは、何かにひどくとまどっているようだった。 そしてひどく疲れ、傷つき、休養と栄養を必要としている。 でも、この生き物は何を食べるのだろう? ルイズは困ってしまう。 そして、その生き物自身も困っていた。 新しい環境に、そして自分に生じている本能とは違う感覚に。 これから新しい場所で生きて行くためには、今までと同じものだけではいけない。 もっと、違うものも食べなくては……。 疲労を覚えながら目を覚ました時、太陽はとっくに昇っていた。 眩暈に、軽い頭痛さえする。 何度も魔法の練習を行い、精神力をすっからかんにした翌日も、こんな感じだった。 だが、その時とは明らかに違うことがある。 ルイズはどちらかというと、寝起きが良くない。 起きても、しばらくはぼうっとしていることが多いのだ。 それにも関わらず、この朝は疲労感にも関わらず、頭の中が妙にクリアになっていた。 目も、耳も、鼻も、ひどい鋭敏になっているような気がする。 窓の外から聞こえる生徒や使用人たちの声や足音が、はっきりと聞こえる。 まるで自分の全身から無数の見えない糸が壁も天井もすり抜けて広がっているような錯覚を覚えた。 その見えない糸のいくつが、振動というか、気配をルイズに伝えてくる。 何か熱い火のようなものが二つ、すぐ近くで動いている。 そればかりではなく、その二つはルイズに向かって近づいてきている。 ――キュルケ? ルイズは唐突に、そのうちの一つが何者であるのかを理解した。 仇敵とも言えるあの不快で、淫蕩なゲルマニア女だ。 だが、もう一つは? ちくちくと、警戒信号が背中――脊髄を通して頭に送られてくる。 ルイズはとっさに、杖を手にとった。 その動作は恐ろしいほど俊敏なものだったが、ルイズ自身はそれを理解していなかった。 いつでも杖を振るえるように注意しながら、ルイズは気配のせまるドアを睨みつけた。 予測通りにキュルケが部屋に入ってきた。 ノックもせずに。 相変わらず無礼で嫌な女だ。 ルイズは内心舌打ちをしながら、じろりと赤毛の美女を睨んだ。 「おはよう、ルイズ」 キュルケは虫の好かない笑みを浮かべる。 しかし、ルイズにとって今はこんな女のことは二の次だった。 「後ろに何を隠してるの?」 キュルケはルイズの態度にかすかに驚きを見せたが、すぐさま笑みを浮かべる。 「別に隠しているわけじゃないわ。あなたに、私の使い魔を紹介しておこうと思ってね。フレイム~」 主人の呼びかけに応じ、巨大な火蜥蜴がのそりと姿を見せる。 なるほど、もう一つの気配はこいつだったのか、とルイズは納得した。 サラマンダー。図鑑などからの知識だけではあるが、よく知っている幻獣だ。 ルイズがじろりと視線を向けた途端、サラマンダーはびくりと、まるで脅えるように身を震わせた。 火属性。それを得意とするメイジ。そいつに従う炎を吐く幻獣。 また、ちくちくと危険を報せる信号がルイズの脳裡に響いた。 危険。敵。 ルイズのすぐ近くで、誰かがそう叫んだ気がした。 弱点。警戒。 ブランドものだと、使い魔の自慢を垂れ流すゲルマニア女を、ルイズは無言で部屋から押し出した。 押し出すというより、突き飛ばすとするべきかもしれない。 そんなに力はこめたつもりはないのに、キュルケは大げさによろけて廊下に尻餅をついた。 ふざけたな女だ、嫌味のつもりか。 不快の念をこめた一瞥をキュルケに向けた後、ルイズはさっさとドアを閉めた。 部屋の中で一人になった。 炎。弱点。 また、あの叫びが聞こえた気がした。 弱点。克服。必要。 強化。発展。進化。必要。 栄養。補給。必要。 ルイズはそれを振りきるように、頭を振った。 これは、誰の声だ? そう考えた時、ルイズの腹が盛大なコールを発信してきた。 早急に、エネルギーを補充せよと。 食堂で朝食をたっぷりとってから教室に向かうと、ひそひそとした囁き声と、くすくすという笑い声がルイズを迎えた。 あの憎たらしいキュルケは、相変わらず男子生徒をはべらせている。 ちょっとした女王様というところだ。 ちらりとルイズに視線を送ってくるが、その時は不思議と気にはならなかった。 発情期、雌猫に群がる雄猫だと思えばむしろ微笑ましくさえある。 くすくす笑う連中も、いつでも踏み潰せる虫けらの群れだと思えば、どうということはない。 よくは、わからないが――ルイズの胸の中に奇妙な自信が生まれ始めていていた。 それがどこからくるものかわからないのだけれど、全てが虚無に感じられた昨日のことが嘘のようだ。 やあ! と周囲に手を振ってしまいたいほどだ。 授業が始まると、中年女性教師シュヴルーズはまずニコニコとして教室を見まわす。 「春の使い魔召喚は大成功のようですね」 のん気に言っているシュヴルーズの姿は、あまり尊敬の感じられるものではなかった。 「中には、大失敗した者もいますけどね!」 そんなことを大声で言ったのは誰だったのか。 鋭敏になったルイズの聴覚は、すぐさまそれを捕らえ、無礼者を見つけ出した。 数人の生徒たちがげらげら笑いながらルイズを見ている。 「ゼロのルイズ、あの襤褸切れはどうしたんだ!? お前の使い魔だろ? ちゃんと持ってきてるのか!?」 ルイズはそれに対して黙っていた。 ――言われてみれば、あのボロはどうしたっけ? 昨日枕のそばに放り出したと思ったが、今朝は見た覚えがない。 あんなものが、勝手にどこかにいくわけはないし……。 沈思しかけたが、けたたましい嘲笑がすぐさま思考を断ち切らせた。 ちりちり、と背中が疼いたような気がした。 疼くと同時に、何かが……ルイズの頭の中で小さく爆ぜた。 それは、感情ではない。 記憶とか、知識とか言われるようなものだ。 不完全ではあるが、未知の記憶の断片がよどみなくルイズの頭に流れ込む。 その情報は、ルイズの中にごく自然に溶けこんでいき、彼女のその後の行動を決定させた。 ルイズは侮蔑してくる連中に、怒りだしはしなかった。 それどころか、にこりと極めて上品に笑いかけたのだ。 「すごいわね。立って歩いて服を着て、その上に人間の言葉をしゃべるなんて……。一体誰の使い魔かしら?」 よく響く声で、パーティーで洒脱な会話を楽しむ貴婦人のようにルイズは言った。 その言葉に、笑いは一瞬静まる。 「ゼロのルイズ! 何わけのわかんないこと言ってるんだ! とうとう頭にきたのか?」 笑っている男子の一人――マリコルヌがはやしたてる。 するとルイズは目をむいてマリコルヌを見る。 「まあ、なんて口のききかた? 誰が主人が知らないけれど、それが貴族に対する態度? 少しばかり利口だからって無礼な豚ね」 「ぶ、豚!?」 マリコルヌが顔を真っ赤にする。 笑い声が、微妙なものになった。 「いくら使い魔といっても、やっぱり獣は獣らしく扱うべきよねえ。ほら、さっさと豚小屋に戻りなさいな子豚ちゃん」 「ふざけるな、僕は風上のマリコルヌだ! 豚なんかじゃない!」 「マリコルヌ? ああ、あんた彼の使い魔なの? で、ご主人様はどうしたの? 今日は欠席?」 ルイズは笑う。 あくまでもマリコルヌを豚として扱うつもりらしい。 「おいおい、ゼロのルイズが余裕を見せてるじゃないか? しっかりしろよ、風上のマリコルヌ!」 他の生徒がからかいの声をあげる。 「うるさい!」 と、マリコルヌは癇癪を起こす。 「二人ともいいかげんにしなさい。お友達をゼロだの豚だの言ってはいけません」 騒ぎにうんざりしたのか、シュヴルーズは杖を手に厳しい声で言った。 「ミセス・シュヴルーズ、一体の何の話でしょうか?」 ルイズは大げさに手を広げてみせながら、心外だという顔をした。 「私は、クラスメートを侮辱などしてはいませんわ。ただ、豚を豚と言っただけのことです」 その発言に、マリコルヌはついに怒りで震え始める。 「ミス・ヴァリエール、いいかげんになさい! ミスタ・マリコルヌに無礼でしょう!」 「はあ? 何をおっしゃってるんです? どこにマリコルヌがいると?」 「どこにって……」 ミス・シュヴルーズは不安を覚えながら、ルイズを見た。 まさか、この少女は本当にどうかしてしまったのか? 「ああ、あそこにいるやつのことですか?」 ルイズはわざとらしく身を引きながら、 「ミセスは少しお目を悪くされましたの? あれは、豚じゃないですか。人間ではありませんわ」 マリコルヌを見てそう断言した。 一瞬狂人と思われるような言動も、その口元に張りついた涼やかな微笑がそれを否定する。 シュヴルーズは怒るよりも呆れて、声が出なかった。 「ゼロのくせに……ゼロのくせに……」 マリコルヌはぶるぶると震えながらも、目を血走らせ、杖をつかんでいた。 ルイズはちらりとそれを確認してから、おもむろにマリコルヌに近づいていく。 「な、なんだ、今さら謝っても……」 マリコルヌは尊大に言うが、言葉は長く続かなかった。 突き出した杖が、ルイズの手に握られていたからだ。 ルイズはただ、無防備に突き出された杖の先端をつかみ、取り上げただけのことだった。 しかし、その動作はあまりにも速かった。 そのため、ほとんどの人間には杖がマリコルヌの手からルイズの手に瞬間移動したようにしか見えなかった。 「あ」 メイジにとって、魂であり命とも言える杖をあっさり奪われたマリコルヌは事態をうまく認識できず、ぽかんとしていた。 ルイズは奪った杖をしばらく弄んでいたが、やがてそれをぼきりと二つに折って、ゴミか何かのように窓から放り捨てた。 「豚に杖はいらないわよね」 すました顔で言った後、すたすたと座っていた場所に戻る。 「う、うわああ!」 数秒ほど経過し、ようやく事態を認識したマリコルヌは、発狂したような叫びをあげ、ルイズに飛びかかった。 だが、その手がルイズを捕まえる前に、ルイズはきっとして振り返り、スナップをきかせた平手でマリコルヌを歓迎した。 マリコルヌはボールのように後ろに転がって、そのまま立ち上がることはなかった。 ルイズに終始豚扱いされた少年は鼻から血を流し、完全に気を失っていた。 教室内が騒然となるのに、しばらくの時間がかかった。 他の教師が駆けつけた後、ルイズは学院長のもとまで連れていかれ、数日間の謹慎を申し渡された。 マリコルヌの怪我はそう大したものではなかったが、杖を折って捨てたのが悪かったらしい。 あの下劣な豚には相応の報いだと思うのだが。 あれこれとコルベールやオスマンに説教されたものの、ルイズはまるで反省などしていなかった。 そもそもの発端は、あの脂肪豚だというのに、何故自分が反省しなければならない? あんな豚が魔法を使えること自体が大きな間違いなのだ。 そんな間違いは即座に正されるべきである。 その証拠に、マリコルヌを処断してから、不快な雑音が消えたではないか。 まあ、もしもまた雑音を発生させる輩がいたのなら……。 今日のマリコルヌと同じように、思い知らせてやればいい。 今までは歯を食いしばって耐えるか、怒鳴り返すかのどちらかだったが、それでは問題は解決しない。 問題は、自発的に動いてこそ解決できるのだとルイズは学んだ。 クズどもには、思い知らせてやればいいのだと。 いや……思い知らせてやらなければならない。 ルイズはひどくウキウキした気分で、着替えを始めた。 この時、ルイズは初めて背中に何かが張りついていることに気がついた。 鏡で確認すると、それは黒い布切れ。 はがす時すこしばかりひりひりしたが、特に問題もなく取ることができた。 「これ、いつの間に……」 使い魔のルーンが刻まれた黒い布切れは、何か前とは違って見えた。 前よりもつやがよくなり、ほんの少しだが、大きくなっているような。 「ひょっとして、これ。何かのマジックアイテムだったのかしら……」 ルイズは不思議に思いながら、布切れを左腕に押しつけてみた。 すると、布切れはぴたりと、まるで第二の皮膚のようにルイズの腕に張りついた。 本来そうであるべきかのように。 一瞬ルイズはその黒い布が自分の中に吸い込まれるかのような錯覚をおぼえた。 ルイズのものであってルイズのものではない感情が、五体を駆け巡る。 頭がクリアになっていき、どんどんと感覚が拡大していく。 と――同時に、どこまでも広大な世界が自分を中心に閉じていくかのようだった。 糸を伸ばせば、世界の果てのことさえ見聞きできそうな気分だった。 強い快感をおぼえ、ルイズは黒い使い魔をなでてみた。 使い魔のルーンをなでているうちに、ルイズの脳内でまた誰かの記憶が爆ぜた。 ――俺は、あんたにとっちゃ、毒だよ。 ――俺は……毒<ヴェノム>だ。 それは誰が、誰に対して言った言葉なのか。 まるで理解できないが、その一方でルイズは理解していた。 これは、かつて使い魔の半身だった者の記憶だ。 それが誰でどんな相手だったのか? こういったことは、ルイズにとってはさして興味を引くものではなかった。 そんなことより、ルイズはもっとこの黒い使い魔をまといたかった。 こいつで真っ黒なドレスを造り、双月の輝く夜に踊ればどれほど素敵だろう。 「――ヴェノム」 ルイズはその言葉をつぶやいてみた。 なんとも響きがいい。 心にぴったりとくる。 「ヴェノム。ヴェノムね……」 ルイズには、毒を意味するその単語が、ひどく神聖で快いものに思えた。 にこりと微笑み、ルイズは愛しげに、腕に張りついた使い魔を見つめた。 前ページ次ページGIFT
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前ページ次ページゼロの怪盗 ルイズの焦燥は並大抵のものではなかった。 同級生に『ゼロのルイズ』と揶揄され、不当な辱めを受け続けてきた彼女にとってこの召喚の儀は、 彼女を馬鹿にしてきた連中を見返す最大のチャンスでもあったのだ。 それが、召喚には何度も失敗し、ようやく成功したと思ったら、現れたのは平民の男。 しかも、使い魔の契約を結んだにも関わらず、男はすぐに自分の元から去っていったのだ。 ルイズにとっては、人生最大の恥といっても過言ではなかった。 「何処!?何処なの!!?」 その苛立ちは言葉となり、自然にルイズの口をついて出た。 「アイツ……いや、もうアイツなんて人呼ばわりしないわ!! 犬よ!それもバカ犬!!……犬だって少しは主人を慕うものよ?全く……」 ルイズの口元が歪む。 「ふっふっふっ……どうやら躾が必要なようね。ふっふっふっ……」 そんな風にブツブツと言いながら歩いていると、宝物庫の近くで海東を発見した。 ミス・ロングビルとイチャついている。……様にルイズの目には見えた。 「あのバカ犬ッ!!私がこんなに苦労しているのに!!」 ルイズは怒りに身を任せて、杖を海東の背中へと向ける。 すると次の瞬間、ルイズの目の前に何か光の弾のようなものが飛んできた。 地面へ着弾すると、土埃を高らかに舞い上げ、魔法を唱えようとしたルイズの手を止めた。 「……………………へ?」 一瞬の出来事にルイズの体が固まる。 目の前で何が起きたのか理解出来ない。 散漫していた瞳を海東へ移すと、海東はこちらに背を向けながら何かをルイズの方へ向けていた。 それは鉄砲のようにも見えたが、あんな鉄砲はこの世界には存在しない。 「やれやれ、とんだ邪魔が入ったね」 海東はそう言うと、ルイズの方へゆっくりと振り返った。 そして、その鉄砲のようなものをルイズへ向けた。 「え?え?な、何?」 ルイズは目の前の出来事に、頭が真っ白になる。 「僕は自分が邪魔されるのはあまり好きじゃないんだ」 海東は表情を変えずにそう言い放つと、引き金に指をかける。 「ちょ、ちょっとお待ちください!」 ロングビルは慌てて海東を制止する。 彼女にとって、魔法の使えないゼロのルイズなどどうでもよかったが、 仮にも学院長の秘書である立場の自分が彼女を見捨てるのはあまりに不自然であった。 「彼女はミス・ヴァリエール。ヴァリエール公爵家の三女です。 それを傷付けた、或いは殺したなどあったら政治的問題になります!」 「関係ないね。興味もない」 海東は冷たくそう言い放つ。 そんな海東を見て、ロングビルは戦慄した。 (何て奴だい……) ロングビルは海東の視線の先を見つめる。 (本当に興味が無いんだねえ…。まるでそこに何もいないみたいじゃないか) そこには怒りなのか恐怖なのか、わなわなと震えるルイズがいたが、 海東の目にちゃんと彼女が映っているかは甚だ疑問であった。 「ま、いっか。お宝に障害はつきものだしね」 海東は感情のこもってない笑顔を浮かべると、ルイズに向けていたそれを下ろす。 と、同時にルイズはその場にへたり込んだ。 どうやら腰が抜けたようである。 「じゃあ僕はこれで失礼させて頂くよ」 そう言うと、素早く海東はその場から立ち去った。 「あ……。ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」 ルイズは追いかけようとするが、足が動かない。 再び自分の元から去っていく海東の背中をただ見つめることしか出来なかった。 「…………!!」 ルイズは声にならない声を上げて地面を叩いた。 使い魔に対して恐怖を抱いたことへの屈辱、そして二度も使い魔に逃げられたことの悲しみ。 様々なものがない交ぜになり、自然と涙がこぼれている。 そんなルイズを気にも止めず、ロングビルは怪盗『土くれのフーケ』として海東の背中を見送った。 (あの身のこなし……あいつがただ者で無いのは確かだねえ。 それに、あのヴァリエールの嬢ちゃんが現れた時……。 背中に目でも付いてるかのような動きだった。……敵には回したくないねえ …………さて!) ごくり、と唾を飲み込むと、今度はミス・ロングビルとして泣き崩れるルイズの元へと向かった。 「……また、印が輝いてる」 海東は森の中で身を隠しながら、発光する自身の左手を見つめた。 (今のところ害は無いみたいだけど……このままにしておくわけにもいかない……か) この印は何なのか、また自身の体に何が起きてるのか。 知らないということがいかに危険なことだということを海東はよく知っている。 今後の為にも、この印のことを知っておく必要を海東は感じた。 その時、海東の脳裏にルイズの顔が浮かぶ。 (全てはあの子から……か) やれやれ、といった感じで海東を首を振る。 「……仕方ないね」 そう呟くと、海東は森の中へと消えていった。 ルイズはどうやって学院内へ戻ってきたのか覚えていなかった。 気付いた時には、コルベールの使い魔の捜索についての話が終わっていた。 当然、コルベールの話など1ミリも覚えていない。 半ば茫然自失のまま、ふらふらとした足付きで自室へ戻る。 (はははは……。もう、何が何やら……) 取り敢えず寝よう。 寝て起きたら、きっと悪い夢も覚めるだろう。 ルイズはもう他に何も考えたく無かった。 力無く自室の扉を開く。 「やあ」 「えっ?」 誰もいない筈の部屋から声がする。 ルイズは急いで中へ入る。 すると、 そこには飄々とした顔でベッドに腰掛ける男がいた。 その男はルイズが呼び出したあの使い魔、海東大樹であった。 前ページ次ページゼロの怪盗
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前ページ次ページ虚無に響く山彦 彼女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが初めて"彼"と出会ったのは、春の使い魔召喚の儀式の場である。 度重なる失敗の末ついに成功した『サモン・サーヴァント』によって、彼はルイズの使い魔として召喚されたのだ。 土がえぐれ砂煙が立ち昇る大地に横たわる青年を見るに及んで、 魔法成功の歓喜に浸る間もなくルイズはしばし呆然とし、そして落胆に沈んだ。 己の呼び出したものはドラゴンやグリフォンなどの幻獣でもなく、ワシやネコなどの獣ですらない、人間それも姿からして平民である。 雑用係としてなら役にも立つであろうが、使い魔としての用をなすであろうか。 いや、魔法も学もない平民がやり遂げられるはずがないだろう。 心中に沸き上がる困惑と周囲から叩き付けられる野次に身を震わせつつルイズが近寄ると、彼は目を覚ました。 半身を起こした使い魔の青年は、若々しい薔薇色の頬に貴族の公子のような平民とは思えぬ優雅さを漂わせていた。 ただ眼ばかり寒夜の星を思わせる冷たさがあり、その視線にルイズは息を呑んだ。 しかしそこは生まれついての一流貴族であるルイズ、気圧されることなく『契約』を交わした。 次の瞬間、左手に焼け付くような激痛を感じてルイズは苦悶の叫びを上げた。傍らを見やれば使い魔の青年も同じく左手を押さえている。 これこそ彼が持つ、極限までの練磨と不乱の一念が極まるところに生じる破天の業の一端であるのだが、 当時のルイズは感覚の共有であろうとあたりをつけ、熟慮することは無かった。 前例なき平民の使い魔の出現や、謎のルーンと召喚者にも及ぶ痛みなどの異様を呈したが なんとか使い魔召喚の儀式は幕を閉じ、ルイズ自身も落第の憂き目を免れた。 彼は使い魔として──まあ、内容は雑用が主だが──よく働いた。 召喚の儀式の帰途にエド、ナガサキ、キリシタンなどの意味不明の言葉を彼が投げかけて来た時は困惑したが、 魔法学院のことやハルケギニアのことをルイズが話すうちに黙りこんでしまった。 そしてルイズが彼をここに呼び出したことや使い魔のことを告げると、 しばしの思案の後に彼女を主人として仰ぐことを彼は誓い、そして彼は自身の名をルイズに告げたのだ。 「わたしの名は天草扇千代と申しまする」 それからはルイズの身の回りの世話も、失敗魔法の後始末も、床で寝ることもセンチヨは諾々と従った。 「平民の使い魔も悪くないじゃない」 ルイズは彼という存在にそれなりに満足していた。 召喚した日は動揺のあまり気付かなかったが、彼の凛冽とした美貌もルイズの優越感を後押しした。 ルイズにとって悠々とした日々が続く中、その事件は起きた。 センチヨがギーシュと決闘をすることになったのだ。 理由はギーシュが落とした香水の壜を彼が拾って渡したところ、 そこからギーシュの二股がばれたとかいうお粗末なことおびただしいものだった。 ルイズが騒ぎを聞きつけた頃には、既にセンチヨとギーシュはヴェストリの広場で対峙していた。 ルイズは止めようとした。彼と過ごした時間は両手指の内に足りる日数であったが、 彼の存在は学院に心許せる者が殆どいないルイズにとってかけがえのない存在になっていたのだ。 哄笑を上げつつギーシュが杖を振るってワルキューレを造り出し、センチヨに向けて突貫させようとした。 センチヨはというと、遊山に興じるかのようにそれを眺めるだけ。 次の刹那、ギーシュのニヤけた表情がひきつれ薔薇の造花を取り落とした。 決闘の場だというのにいきなり腕を押さえて屈んだのだ。無論両者の間にいかなる物体の交流もない。 同時にセンチヨは怪鳥のように跳躍して一息に間合いを詰め、佩いていた細見の曲刀をギーシュの首筋に突きつけていた。 「ま、参った」 静まり返った広場にギーシュの降参の声だけが、細く長く降り落ちた。 センチヨは尋常ならざる能力を持っている。ルイズはそれを初めて目の当たりにしたのだ。 ルイズは彼を問い詰めた。それは如何な力なのか、何故秘密にしていたのかを。 だがその時の彼は黙して語らなかった。ルイズは彼との間に決定的な、分かり合えぬ冥漠とした隔たりを感じた。 その後、彼に決闘を挑む貴族が何人かいたが、何れもギーシュのように杖を取り落として敗れ去った。 ルイズはギーシュを含めてそれらの貴族達に敗北時の様子を聞いた。 そして皆一様にこう答えるのだ、『体に刃物を突き立てられるような激痛を感じた』と。 ある時、学院内に土ゴーレムと共にフーケが現れた。 己の使い魔に遅れを取ることをよしとせず、毎夜の特訓に打ち込んでいたルイズはちょうどゴーレムが塔を拳で打つ場面に行き会った。 迷うことなくルイズは失敗魔法で攻撃した。 騒ぎを聞きつけたキュルケとタバサが援護に現れるも、自在に変幻する土の前にトライアングルメイジである彼女達も責めあぐねる。 そして土ゴーレムが地に立つルイズに拳を振り下ろそうとした時、 何処よりか風を巻いて馳せ寄ったセンチヨが彼女を抱え、死地から救い出した。 賊を前にして逃走する形になったルイズは彼の腕の中で抵抗した。その姿に笑みを浮かべたセンチヨは彼女にこう言った。 「ルイズ殿、今より我が忍法の一端をあなたにお見せ仕る」 彼は己の喉笛に手をかけた。傍目から見ても、そこに万力の如き力が込められているのがよくわかった。 同時に土ゴーレムの上に立つ人影が喉を押さえて悶えた。 人影は不可視の炎に炙られるかのように身を震わせ、集中が切れた為に瓦解し土の瀑布と化したゴーレムと共に大地に墜落していく。 後に残った砂山の上には失神したミス・ロングビルが横たわっていた。彼女こそがトリステイン中に悪名轟かす土くれのフーケであった。 直後にルイズは扇千代より初めて“忍法”という言葉を説明された。 ついでに言うと、この頃からセンチヨは常にルイズの傍らにいるようになった。 手紙回収の任を負ってアルビオンに赴いた時。 ルイズに追従した立場であったにも関わらずセンチヨは率先して働いた。 元々の忍術・体術にガンダールヴの力が相乗したセンチヨは闇中に入れば影の如く潜み、 灯下に身を躍らせれば剣光を散らして敵対者を斬り倒す。賊や女神の杵亭に押し入った傭兵はまるでセンチヨの敵ではなかった。 再び現れたフーケや謎の仮面の男もセンチヨの"忍法"の前に杖を落として敗れた。 そしてニューカッスルの礼拝堂、本性を顕しルイズを殺そうとしたワルドの前にセンチヨが立ちふさがった。 ワルドに強かに痛めつけられたルイズは、薄れゆく意識の中でそれを見届けた。 入り乱れて乱舞するワルドとその偏在。対するセンチヨは、慌てることなく己の両瞼の上に刀身を滑らせる。 次の瞬間、五人のワルド達はうめきつつ両目を掌で覆った。 死線に切りこんだ間隙をセンチヨは瞑目したままでありながら逃さない。 長刀とデルフによる剣撃の前に偏在は風に消え、本体のワルドも左腕を落とされ遁走した。 気絶したルイズが気付いた時、眼下に炎と黒煙に彩られながら落ちゆくニューカッスル城が見えた。 それを背に雲海に飛び立つ風竜の上で、センチヨはルイズに全てを打ち明けた。 自分のこと、自分のかつていた世界、そこで繰り広げられた三つ巴の壮絶な死闘。 彼の腕の中で聞くそれらの話は到底信じられぬことであったが、ルイズは信じた。 蒼穹に走る風が髪を揺する中、ルイズは眠り込んで夢を見た。 煙霧にぼやける水平線が遠く見える大海に小船がたゆたう。紺碧の天球には寒々とした星が瞬いている。船に座るのは幼い頃のルイズ。 中空から風のように現れる子爵様はもういないという実感と、寂寥と孤独の冷気に少女は身を震わせて泣いた。 そこへ模糊たる海面を渡って誰かが近づいて来る。藍色の大気を裂いて船に跨ぎ入った青年は溜息して、微笑を浮かべた。 「探しましたぞ、ルイズ殿」 ルイズの心にはセンチヨが住み始めていた。 この頃から既にルイズの胸に、センチヨへの、使い魔に対する以上の淡く熱い想いが蕾を結み始めていたのかもしれない。 それからのセンチヨはずっとルイズの前に居た。 アルビオン軍がタルブの村に攻め寄せた時も、蘇ったウェールズとアンリエッタが杖をルイズ達に向けた時も、 アルビオンに上陸する時も。センチヨは打ち寄せる害悪を巌のように受け止め、その全てをルイズから遠ざける。 信頼に裏打ちされたセンチヨの行為にルイズも答え、己の果たすべき役目、虚無の詠唱を紡ぎあげ艱難を打破する。 それはまるで、二人の間に思念の山彦が響きあうようであった。 ロサイスに向けて七万の軍勢が歩を進める。 ルイズは殿軍としてそれを食い止めるよう命令された。撤退、降伏を認めぬ死守命令であり、生還は不可能。 恐怖に歯の根が合わず、臓腑が体内で捻れているような嘔吐感が沸き上がる。 だが、真の恐怖を生み出す根源は自分に付き従うであろうセンチヨの存在だった。 彼の死。想像するだけで心臓の鼓動が早鐘の如く満身にどよもし、筋骨がまるごと氷柱と化したかのような怖気が走る。 ルイズは人気の無い寺院の前にセンチヨを呼び出した。 「センチヨ、逃げて。わたしにつきあうことはないわ。あなたはもう道具として使われる忍者じゃない。 二度も死ぬなんてことしなくていい、いや、しちゃ駄目なの。だからお願い、どこか遠くに逃げて・・・」 それだけをセンチヨに言うとルイズは逃げるように踵を返した。 本来なら相手の返事を聞いてから移るべき行動だが、その言葉が肯定、否定のいずれにしても、 それを受け止めるのはルイズには辛すぎた。 ルイズは駆け出そうとしてセンチヨに肩を捕まれた。 声を出す間もなく、振り向かされたルイズの顔にセンチヨの顔が重る。 真に重なったのは唇同士、およそ春の儀式の際に交わした『契約』とは比べられぬ程に甘やかで深く熱く、そして物悲しい交わりであった。 唇が離れると共に彼に何か言おうとしたルイズは、強烈な眠気に襲われそのまま夢寐に意識を沈めた。 意識を失う前までの彼との思い出が車輪の如く脳裡を走り抜け、音も無く止まる。 「・・・・・・センチヨ!」 魂を掻き毟るようなルイズの絶叫がアルビオンの空を翔る。 涙が絡んだ上に、何度目の絶叫になるか喉が枯れているようで、彼女の愛らしい声は砂利が混じったような響きをまじえている。 ルイズが目を覚ました場所は寺院の前ではなく、出航するレドウタブール号の甲板であった。 兵士の言によれば、センチヨはただ一人で七万の軍勢が大挙する丘に向かったのだ。 話を聞くやルイズは狂気の如く柵に駆け寄り、飛び降りようとした。 同乗していたギーシュとマリコルヌが止めなければ、五体は大地に叩きつけられていただろう。 「無理だよ!下にもう、味方はいないんだ!」 「センチヨが行ってからもう丸一日経ってるんだ!君が戻ってなんとかなる状況じゃない!」 「おろして、お願い!二度も死ぬなんてあんまりだわ!センチヨ!」 絶叫は山彦響かぬアルビオンの空に無惨にも消えた。 前ページ次ページ虚無に響く山彦